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今日は会社のトップ2人の仲違いというか勢力争いみたいのを見た。こんなちっちゃい会社でも上層部が意見の相違があるとめんどくさいことになるのです。
それはともかく。 なんか最近、日本史づいてるなー。 『逃げる百姓、追う大名 江戸の農民獲得合戦』 (宮崎克則。中央公論新社。中公新書1629。2002年。720円。本文印刷/三晃印刷。カバー印刷/大熊整美堂。製本/小泉製本) 第1章 農民を欲しがる大名たち------「走(ら)せ損、取どく」 第2章 いかにして耕作させるか-------「少の御百姓」 第3章 戦乱の終了から大開墾へ------「国に人を多く」 第4章 家臣の苦労、隠居の言い分-----「去留自由」の原則 第5章 大名の台所事情-------「天下の大病」 結びにかえて------走り者とは何だったのか この前、というか去年末に読んだ『武士の家計簿』はむちゃくちゃ面白かったですが、その本の中で紹介されていたのがこの『逃げる百姓、追う大名』です。 戦国時代が終わったばかりの江戸時代初期。各地において土地を捨てて去ってしまう農民たちがいました。彼らは「走り者」などと言われましたが、そうした「走り」が何故起こるのか。誰が行い、それに対する大名たち領主の対応はどうだったのか、といったことを研究した一冊。 この本では北九州・豊前小倉藩の細川家の事例を参照しながら話が進んでいきます。ちなみに細川家の当時の当主は、はじめは細川忠興、後に忠興が隠居して忠利になります。しかも、細川家が豊前にいたのは結構短かく1602年から1632年までで、その後肥後熊本藩の加藤忠広が改易されたのでそこに移封されます。ですから、その短い30年くらいの時代の話が中心となります。(細川家といえばあの細川元総理の先祖ですが、元総理は忠興は血が繋がってますが、忠利とは繋がってません。忠興と細川ガラシャ(明智光秀の娘)の間に生まれたのが忠利となりますが、8代目の時に忠利系の家系から忠利の異母弟の立孝の家系に移ってるからです。) そもそも江戸時代の百姓のイメージといえば、閉鎖的社会の中で、各種法令によって移動を制限され、貧困に苦しんだ人々、という感じですが、それに伴って逃亡する百姓たちの「走り」という行為も、「年貢と賦役によって没落した百姓たちの逃亡」と考えられていました。でも、江戸初期の実態はそうじゃない、ということがこの本では語られます。 それは、人々が住んでる土地を捨ててしまうのは、他の条件の良い土地へ移住してしまうからだ、というのです。つまり領主に対する消極的抵抗というのではなく、百姓たちのよりアクティブな選択のひとつ、というわけです。当時、各地の藩の枠組みは出来たばかりですし、変更もありました。ですから藩をまたいで各地に親戚がいたりしたので、そうした親戚・知人などを頼ったようです。たくさんの触れが出されたりしていることから、こうやって土地を捨てる人々が当時は結構いたようです。 しかも、各地の領主たちは百姓を自分の土地へ招き入れるため、米を与えたり、年貢をはじめは免除してあげたりといった優遇策まで出してます。そして、自分の土地から逃げた百姓たちを取り戻すため、逃げた先を調べ、相手の領主と交渉したりまでします。また、一度逃げた人たちが帰ってくるように人返し令などを出して呼び戻したりもします。それもこれも、自分たちの領地経営のためでした。やはり、戦国時代の影響があり、荒れ地となった農地が結構あったし、幕府からの軍役や普請などの要求が負担だったので、経営は厳しかったようです。細川家の家臣の中では、自分がもらった知行地を経営しきれなくて、細川家に返そうとする人までいたようです。こうした苦しい経営者たちは、その負担を百姓たちに負わせることになり、その過酷な負担が、彼らの逃亡を助長することになる悪循環。 そこらへんの状況を、いろいろな事例を出して説明してくれて、なかなか面白い一冊となっています。 当時の百姓にはちゃんとした土地を持ち、年貢と夫役がある「本百姓」と、零細な土地を持ち、年貢だけの「名子」や「下人」がいて、どうやら「走り」をしてしまうのは、下層の百姓たちが多かったようです。彼らが逃亡してしまうのは、失うものが少ないからでしょうが、その後、17世紀の大開墾の時代を経て、農村内部における地位を高めてくると、そうした「走り」よりも、一揆などの「訴」という形態での抵抗となるとか。 また、豊前小倉藩は、1620年に細川忠興が隠居して、三男の忠利が藩主となりますが、忠興は豊前小倉藩39万9000石の中の37000石を自分の領地として隠居します。独立したというより、領地内での操作による分割ですが、忠興はこの自分の隠居領を自分で経営します。それに自分の家臣団も持っていたりします。豊前小倉藩内部は、このような身内の領地の設定が他にもあり、さらに細川家に仕える家臣たちに与えられた知行地もあるような状態だったのですが、その領主ごとが独立して経営をしていたので、やはり自分の土地から百姓が逃げ出すと、それを返してくれるよう主張しました。それは忠利の土地から忠興の土地に逃げた百姓を、忠利が返すよう父親の忠興に言っても、忠興は拒否してしまうくらい熾烈な農民獲得競争だったとか。 この本を読んだのは、近世のロシアで農奴が逃亡して大貴族の農奴になってしまったり、南部に逃れてコサックの領域に行ってしまったりするという現象と似てるかな~、とか思ったからだったんですが、この事例をどう比較すればがまだ上手くわかんないです。ロシア側の状況をもっと調べないとだめか。 参照サイト 江戸東京博物館 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/ 江戸と座敷鷹 http://www.0105.jp/~mizuki/ 関連記事ところで、現在、江戸東京博物館で、「ロシア皇帝の至宝展」がやってるので、是非見に行きましょう。クレムリンの「武器庫」にあった宝物をふくめ、たくさんの面白いものがきてるはず。 関連記事 当時の社会状況を確認しつつ信長の実態とその意義を問う。小島道裕『信長とは何か』講談社選書メチエ356 http://xwablog.exblog.jp/10539110 →デジタル・クワルナフ サイト・トップへ
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