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江戸時代初期の逃亡農民「走り者」たちの実態に迫る。宮崎克則『逃げる百姓、追う大名』
今日は会社のトップ2人の仲違いというか勢力争いみたいのを見た。こんなちっちゃい会社でも上層部が意見の相違があるとめんどくさいことになるのです。

それはともかく。
なんか最近、日本史づいてるなー。

逃げる百姓追う大名_宮崎克則

『逃げる百姓、追う大名 江戸の農民獲得合戦』

(宮崎克則。中央公論新社。中公新書1629。2002年。720円。本文印刷/三晃印刷。カバー印刷/大熊整美堂。製本/小泉製本)
第1章 農民を欲しがる大名たち------「走(ら)せ損、取どく」
第2章 いかにして耕作させるか-------「少の御百姓」
第3章 戦乱の終了から大開墾へ------「国に人を多く」
第4章 家臣の苦労、隠居の言い分-----「去留自由」の原則
第5章 大名の台所事情-------「天下の大病」
結びにかえて------走り者とは何だったのか

この前、というか去年末に読んだ『武士の家計簿』はむちゃくちゃ面白かったですが、その本の中で紹介されていたのがこの『逃げる百姓、追う大名』です。
戦国時代が終わったばかりの江戸時代初期。各地において土地を捨てて去ってしまう農民たちがいました。彼らは「走り者」などと言われましたが、そうした「走り」が何故起こるのか。誰が行い、それに対する大名たち領主の対応はどうだったのか、といったことを研究した一冊。
この本では北九州・豊前小倉藩の細川家の事例を参照しながら話が進んでいきます。ちなみに細川家の当時の当主は、はじめは細川忠興、後に忠興が隠居して忠利になります。しかも、細川家が豊前にいたのは結構短かく1602年から1632年までで、その後肥後熊本藩の加藤忠広が改易されたのでそこに移封されます。ですから、その短い30年くらいの時代の話が中心となります。(細川家といえばあの細川元総理の先祖ですが、元総理は忠興は血が繋がってますが、忠利とは繋がってません。忠興と細川ガラシャ(明智光秀の娘)の間に生まれたのが忠利となりますが、8代目の時に忠利系の家系から忠利の異母弟の立孝の家系に移ってるからです。)

そもそも江戸時代の百姓のイメージといえば、閉鎖的社会の中で、各種法令によって移動を制限され、貧困に苦しんだ人々、という感じですが、それに伴って逃亡する百姓たちの「走り」という行為も、「年貢と賦役によって没落した百姓たちの逃亡」と考えられていました。でも、江戸初期の実態はそうじゃない、ということがこの本では語られます。
それは、人々が住んでる土地を捨ててしまうのは、他の条件の良い土地へ移住してしまうからだ、というのです。つまり領主に対する消極的抵抗というのではなく、百姓たちのよりアクティブな選択のひとつ、というわけです。当時、各地の藩の枠組みは出来たばかりですし、変更もありました。ですから藩をまたいで各地に親戚がいたりしたので、そうした親戚・知人などを頼ったようです。たくさんの触れが出されたりしていることから、こうやって土地を捨てる人々が当時は結構いたようです。
しかも、各地の領主たちは百姓を自分の土地へ招き入れるため、米を与えたり、年貢をはじめは免除してあげたりといった優遇策まで出してます。そして、自分の土地から逃げた百姓たちを取り戻すため、逃げた先を調べ、相手の領主と交渉したりまでします。また、一度逃げた人たちが帰ってくるように人返し令などを出して呼び戻したりもします。それもこれも、自分たちの領地経営のためでした。やはり、戦国時代の影響があり、荒れ地となった農地が結構あったし、幕府からの軍役や普請などの要求が負担だったので、経営は厳しかったようです。細川家の家臣の中では、自分がもらった知行地を経営しきれなくて、細川家に返そうとする人までいたようです。こうした苦しい経営者たちは、その負担を百姓たちに負わせることになり、その過酷な負担が、彼らの逃亡を助長することになる悪循環。
そこらへんの状況を、いろいろな事例を出して説明してくれて、なかなか面白い一冊となっています。

当時の百姓にはちゃんとした土地を持ち、年貢と夫役がある「本百姓」と、零細な土地を持ち、年貢だけの「名子」や「下人」がいて、どうやら「走り」をしてしまうのは、下層の百姓たちが多かったようです。彼らが逃亡してしまうのは、失うものが少ないからでしょうが、その後、17世紀の大開墾の時代を経て、農村内部における地位を高めてくると、そうした「走り」よりも、一揆などの「訴」という形態での抵抗となるとか。

また、豊前小倉藩は、1620年に細川忠興が隠居して、三男の忠利が藩主となりますが、忠興は豊前小倉藩39万9000石の中の37000石を自分の領地として隠居します。独立したというより、領地内での操作による分割ですが、忠興はこの自分の隠居領を自分で経営します。それに自分の家臣団も持っていたりします。豊前小倉藩内部は、このような身内の領地の設定が他にもあり、さらに細川家に仕える家臣たちに与えられた知行地もあるような状態だったのですが、その領主ごとが独立して経営をしていたので、やはり自分の土地から百姓が逃げ出すと、それを返してくれるよう主張しました。それは忠利の土地から忠興の土地に逃げた百姓を、忠利が返すよう父親の忠興に言っても、忠興は拒否してしまうくらい熾烈な農民獲得競争だったとか。

この本を読んだのは、近世のロシアで農奴が逃亡して大貴族の農奴になってしまったり、南部に逃れてコサックの領域に行ってしまったりするという現象と似てるかな~、とか思ったからだったんですが、この事例をどう比較すればがまだ上手くわかんないです。ロシア側の状況をもっと調べないとだめか。


参照サイト
江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
江戸と座敷鷹
http://www.0105.jp/~mizuki/

関連記事ところで、現在、江戸東京博物館で、「ロシア皇帝の至宝展」がやってるので、是非見に行きましょう。クレムリンの「武器庫」にあった宝物をふくめ、たくさんの面白いものがきてるはず。

関連記事
当時の社会状況を確認しつつ信長の実態とその意義を問う。小島道裕『信長とは何か』講談社選書メチエ356
http://xwablog.exblog.jp/10539110


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by xwablog | 2007-04-20 01:33 | 書庫
当時の社会状況を確認しつつ信長の実態とその意義を問う。小島道裕『信長とは何か』講談社選書メチエ356
当時の社会状況を確認しつつ信長の実態とその意義を問う。小島道裕『信長とは何か』講談社選書メチエ356

20070329

漢字で「羊」という部首が使われている字について、その歴史とかを書いてあった本を1か月近く探してるんですが、まだみつからない。新書だったと思うのですが、選書だったかな? 『部首のはなし』がそれっぽいけど、本屋には置いてないから古本屋か図書館でチェックしてみるか・・・。

それはともかく。
この前、奥野さんがお勧めといっていた『信長とは何か』を読んでみました。はからずも同時に、武藤さんもブログで書評を書かれてます。

信長とは何か_小島道裕

『信長とは何か』

(小島道裕。講談社。講談社選書メチエ。2006年。1500円。238ページ)

第1章・「大うつけ」--若き日の信長
第2章・桶狭間
第3章・天下布武
第4章・岐阜城の信長
第5章・岐阜城下と楽市令
第6章・上洛
第7章・信長の敵---戦国時代とは何か
第8章・合戦と講和
第9章・公家になった信長
第10章・安土城下町1 城と家臣
第11章・安土城下町2 町と楽市令
第12章・本能寺の変 信長を殺したもの

信長についての本ですが、人物伝というよりは信長の方法論についての本。武藤さんがうまく説明してるので、細かい部分をネタにしてみます。

この本を書いた小島道裕氏は、現在、国立歴史民俗博物館助教授で、中近世の日本史、それも城下町の研究の専門家だとか。著作に『戦国・織豊期の都市と地域』や『城と城下 近江戦国誌』というのがあるそうです。だから、城下町についての記述が結構あります。そういった視点からの状況理解や信長の評価が新鮮で楽しめます。また、文体が結構淡々としてて、信長に対して冷静な分析をしているようにも見えます。いままでにありがちな信長マンセー的伝記などとは違う、いい意味での信長本かと思います。

この中でいくつか面白かった話といえば・・・

桶狭間の戦いの勝利についての近代日本への影響について書かれたところで、
「これも藤本氏が指摘するところだが、明治以降の日本の軍部は、数において劣る信長が勝った桶狭間の合戦を、小国日本が列強と対決する際の都合のよい史実として重視した。そして『迂回・奇襲』という、事実ではない創作された作戦と『勝因』を教訓として活用し、同様の作戦を安易に立案し、かえって戦術の基本をおろそかにして、悲惨な結果を招いたという。」
とあります。
年配の人は何度も何度も桶狭間の戦いを引き合いに出され、「勝てる」という思いを刷り込まれたようですね。これは明治期以降の話ですが、そのように、過去の出来事や著名人のエピソードをその時の支配者が都合のいいように利用する(それも合っていようが間違っていようがは重要ではない)というのは、どこにでもあるもので、江戸時代初期にも九州の細川家の領地で利用された加藤清正のイメージなど、まさにそれじゃないかと。たぶん、せっかく解明された桶狭間の戦いについての事実(実際には奇襲じゃなかったとか)は、今後もあまり重視はされないでしょう。信長好きの人たちにとっても、こーゆうイイ話を利用したがる人たちにとっても、それが事実だとしても、都合が良くないのだから。

あとは・・・
小牧山城の築城についての話の中で、
「実はこれより早く、16世紀半ばころには、大名の居城が山に上がる傾向が顕著に見られるようになっていた。」
とあったのには少し驚きました。自分は、日本の城というものは、室町時代に山城が増え、戦国時代になってからはどんどん平城になってくものだと単純に思ってましたから。
戦国時代の末期30年で築城術の格段の進歩があったともありますし、ここらへん、もっと複雑で展開の早い変化があったようですね。

あと、楽市楽座の話も自分が抱いていたイメージがステレオタイプだったと知りました。
「楽市令というと、それまでの座による専売権を否定して、全国に自由営業を広めた政策、と解釈されがちだが、そうではない。読んで分かるように、これは完全に安土に宛てて出された個別法であり、安土に住人を招致するために与えた特権のリストなのである。」
どうも、戦国時代というのは、室町時代に下降しまくって不況が続いていた経済状況が終わり、経済面で成長を見せていた時代だったようです。そういえば、戦国時代が「戦乱」と「飢餓」ばかりの悲惨な時代だったというイメージが実際はどうだったのだろうか、という点に注目して書かれた本がありましたね。新書か選書で。経済の発展の中で、自分の城下町にそれを無理矢理にでも集中させようとしたのが信長だったという理解でいいんでしょうかね。なんというか、チムールがサマルカンドを作った時の話を思い出すような。

室町時代後半に進んだ経済の停滞が、中央権力の衰退と地方政権の強化、つまり各地域ごとの内閉的経済の進行によって起こったという感じなら、たしかにそれで一番困る馬借たち運送業者による蜂起という流れもわかる。本当はどうだか知りませんが。
地域の農民たちが弱体な支配者を望んでる、という話は興味深かったです。たしかに支配者が弱い方が税金は安い! これと土一揆を関連づけて考えたことはなかったです。
この本では信長の無理な武力による統一はあまり当時の人々に受け入れられなくて、それが原因で信長は失敗したし、それよりも地方政権が集まった連邦制の日本もありえたんじゃないかというような話で締めてますが、各大名がなんで自分の領土経営や拡大に精を出したのかとかを考えると、連邦制による安定した状況というのはちょっと無理じゃないかな~、とか思いました。

まあ、そんな話とかが載ってる面白い本です。結論部分がちょっと強引かもしれませんが、話は面白いし読みやすい(ただし、引用部分は現代語訳がないのが多いのでそこだけスムーズさに欠けますが)ので、信長や戦国時代に興味があるなら一読しておくのもよいかもしれません。


参照サイト
小島道裕のホームページ(国立歴史民俗博物館研究者のホームページ)
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/
信長の野望Online 破天の章
http://www.gamecity.ne.jp/nol/
信長王(信長のファンサイト)
http://www.nobunagaou.com/
戦国ごくう
http://www2s.biglobe.ne.jp/~gokuh/
織豊期研究会
http://133.67.82.117/frame.htm
蘇る安土城
http://www.biwa.ne.jp/~minoura/index.html
織田信長に関する総合リンク集
http://nobunaga.kubokoji.com/
ようこそ洞窟修道院へ!
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/
むとうすブログ
http://samayoi-bito.cocolog-nifty.com/mutous/


この記事へのコメント

おーーー
見事に被りましたね(笑)

だいぶ陽気も良くなってきたし
金華山へ登るオフなんてどうですか(^-^;
Posted by 武藤 臼 at 2007年03月30日 00:21

>被りましたね
まあ、2人とも同じコメント見てチェックしましたからね~(笑)

>登るオフ
武藤さんはほんとに見に行っちゃうのが凄いですね。しかも頻繁に!
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年03月30日 04:02

いつもながら、馬頭さんの読書の質と量、そしてその感想をすぐテキストにまとめられる力には感嘆するしかないです。甚だ精力盛んなり。僕が人生の中で出会った人々の中でも、かなり上位に来るビブリオマニアだと思いますよ。

『信長とは何か』については、僕も確かに結論が弱いというか、性急な感じは受けました。途中まで極めて綿密な考証を重ねていたのに、最後にお坊さんの旅日記だけであんな先走ったことを言っていいのかね?と。今後はこの間隙を埋めるのが課題になるんでしょうか。

まあでも、全体として面白い本であったことは確かだと思います。特に、城下町についての考察で、法令の内容ばかりでなくそれが書かれた板の材質に着目する部分。流石にプロの目のつけどころは違う、と感心しました。
あと、信長という人物に対して否定的な結論を導き出す一方で、決して彼を悪魔的に描くのではなく、等身大の人物として扱っていたのもよかったですね。特に、岐阜城を宣教師に見せびらかす場面など。
Posted by 奥野 at 2007年03月31日 02:01

>信長とは何か
今回はいい本紹介してくださってありがとうございます。面白かったですよ~。

>お坊さんの旅日記だけであんな先走ったこと
(笑)。ええ、そんな感じでしたね。根拠が弱い部分が他にもいくつかありましたが、最後のはちょっと・・・というまとめかたでした。ずーっと冷静な視点で信長を書いていたのに、最後になって無理矢理結論のために信長否定したような。
でも、目のつけどころは面白いし、文もいいので、また「今後はこの間隙を埋めるのが課題」として書いて欲しいものですね。

>甚だ精力盛んなり。
たぶん、ホンモノのマニアには遠く遠く及ばないでしょうが、最近は少し読む量が増えてます。やはり、テレビがなくなったのが良かったのかと。テレビはつけてしまうとつけっぱなしだし、見てしまいますからね。あと、意識してなるべく歴史本とかの感想を書いていこうとしてます。去年はつい漫画ネタばかりになってしまいましたので。
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年03月31日 04:11


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ありのままにいう。この本はめちゃめちゃ面白い。磯田道史『武士の家計簿 加賀藩御算用者の幕末維新』
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by xwablog | 2007-03-29 02:15 | 書庫
イエズス会士の見た戦国時代の日本の姿をヨーロッパと比較。ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』
ここ何日か担々麺のインスタントラーメンしか食べてなかったので、今日は納豆ご飯にしました。腐った豆なのになんでこんなに美味しいんだろう。

それはともかく。
この前から探していたヘロドトスの『歴史』がやっと奥にしまった段ボールから出てきて、なんとかなったのですが、その時、この『ヨーロッパ文化と日本文化』も見つけました。読んだと思ってましたが、一部を読んだだけだったのに気づいたので、読み直しました。これが非常に面白い! (『歴史』はまた別の機会に一度記事にします。)

ヨーロッパ文化と日本文化_ルイス・フロイス

『ヨーロッパ文化と日本文化』

(ルイス・フロイス。訳/岡田章雄。岩波書店。岩波文庫_青_459-1。1991年。410円。印刷/理想社)
第1章・男性の風貌と衣服に関すること
第2章・女性とその風貌、風習について
第3章・児童およびその風俗について
第4章・坊主ならびにその風習に関すること
第5章・寺院、聖像およびその宗教の信仰に関すること
第6章・日本人の食事と飲酒の仕方
第7章・日本の攻撃用および防禦武器について(付 戦争)
第8章・馬に関すること
第9章・病気、医者および薬について
第10章・日本人の書法、その書物、インクおよび手紙について
第11章・家屋、建築、庭園および果実について
第12章・船とその習慣、道具について
第13章・日本の劇、喜劇、舞踏、歌および楽器について
第14章・前記の章でよくまとめられなかった異風で、特殊な事どもについて

戦国時代の日本にやってきたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスの書いた、日本とヨーロッパの違いを比較して列記した本。原著のタイトルは『日欧文化比較』といいます。文庫化にあたり『ヨーロッパ文化と日本文化』と題名がつきました。フロイスが1585年に長崎県の加津佐で書いたもので、箇条書きの形で「ヨーロッパではこうだが、日本ではこうなっている」というような感じで日本の諸事情の中で、ヨーロッパと違うものをピックアップして説明しています。「日本はここが変だ」「ヨーロッパとは逆さまだ」というのを示すのが目的なので、わざと一部の事情に限定して書かれているものもありますが、なかなか鋭い冷静な視点で見てて、説明が的確です。
当時の日本の事情が分かる第一級の史料の翻訳で、それぞれの項目に訳者の注釈が入り、非常に分かりやすく面白い一冊となっています。

中でも面白かった話の例を各章ごとから、それぞれ挙げてみます。

「われわれの間では顔に刀傷があることは醜いこととされている。日本人はそのことを誇りとし、よく治療しないで一層醜くなる。」(第1章)

これは顔についた「向こう傷」のことですね。背後についた傷「後ろ傷」は敵に背を向けていた証拠として不名誉なことでしたが、敵と向かい合った証拠である体前面の「向こう傷」は名誉なことと考えられたわけです。このことがフロイスには奇異に写ったのでしょうね。
しかし、この記述を見るかぎりだと、もしかしたらわざと傷跡を残すようなこともあったのかもしれません。


「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。」(第2章)

これは日本人の貞操観念がかなりおおらかなことに注目したもので、第2章の冒頭に書いてあるくらいだから、特に気になったんでしょう。
日本はどうやら昔からセクースに関してはかなり緩いルールでやってたみたいですね。夜這いとかの話も有名ですし。前に読んだ雑誌によると、日本の昔の村社会では若者たちが総当たりとかでセクースしたりしたとか。もしも妊娠したら、結婚して、生まれた子はその結婚相手の子として育てるらしい。結婚した時に処女だと、よほどモテなかった、とか思われたとも。ヨーロッパ的貞操観念とはかなり考え方が違うわけです。
ただ、社会上層の家庭はそこまで自由じゃなかったようです。商家の娘はずっと家の中から出ないとか読んだ覚えがあります。武士たちの家も厳しかっただろうし。
あと、結婚後には不倫不貞の行いは厳しく罰せられたようです。処刑とかもありました。確か、武士だったらそうした妻やら間男やらは斬ってもよかったはず。
そういえば、この前読んだ『武士の家計簿』の中で結婚事情について書かれた部分とかありましたが、いとこ婚が多いというのは興味深かったですね。あと、結婚前に「お試し期間」のような共同生活の時期があったり。


「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ(言葉?)によって譴責するだけである。」(第3章)

ヨーロッパでは子供に対する懲罰が当たり前でしたが、日本ではそういうことはしなかったようです。これは明治になって日本に入ってきた外国人も似たようなことを書いているので、ずっとそうだったのでしょう。
フロイスは他の通信で「子を育てるに当って決して懲罰を加えず、言葉を以て戒め、六、七歳の小児に対しても七十歳の人に対するように、真面目に話して譴責る。」と書いているそうです。この子供に対する話して聞かせる態度というのは、どこらへんから来てるのでしょうね? 儒教的思想からとか?
あ、ちなみに皆が皆、こういった親ばかりだったわけもないわけで、『武士の家計簿』でも藩の会計係だった人が、息子を算盤でぶん殴るということがあったと書かれてます。


「われわれの間では修道士は常に平和を念願し、戦争は彼らにとっては甚大な苦痛である。根来の坊主らは戦争を仕事とし、戦闘に赴くために領主らに傭われる。」(第4章)

これは戦国時代の傭兵集団・紀州の根来衆のことですね。鈴木孫一とか有名な武将がたくさんがいたのは、根来衆の近くにいた雑賀衆という別の集団。根来衆のほうが先に鉄砲を使いはじめたようです。(鈴木重秀とか、『信長の野望』でさんざんお世話になったなぁ)
日本では僧侶たちが武装したりするのは普通に行われていました。もしかしたら、宗門争いが激しかったことと関係あるのかもしれませんね。あと、傭兵としての活躍も多く、根来衆も河内と紀州の守護だった畠山氏に雇われて近畿で戦ったとか。
しかし、フロイスはヨーロッパにも騎士修道会があったろうに、そこらへんはどう思ってたんでしょう。それとも、どの宗門であっても武装する日本の宗教勢力をおかしく思ったのか。もしくは、「傭兵」であることに注目したのか。


「われわれの教会は(奥行が)長くて(間口が)狭い。日本の寺院は(間口が)広くて(奥行が)短い。」(第5章)

日本のお寺の作りは、横に広い形になってます。ヨーロッパの教会は入口から入ると奥の方に長く伸びています。この形の違いに注目したものですが、そういえば何で日本の寺院は横に広いんでしょうね。利便性から? 寝殿造りの影響? 金堂や講堂が回廊の一部を成して敷地中央部を囲っていた時代の名残り?
寺院の巨大さを効果的に出すためには、ヨーロッパでは建材が石だから高層にできるけど、日本だと木だから高くできず、横に拡げたとか? あー、でも高層といえば五重塔とかあるしなぁ。


「ヨーロッパ人は焼いた魚、煮た魚を好む。日本人は生で食べることを一層よろこぶ。」(第6章)

当時から刺身は食べられていたようです。「生物(なまもの)」と呼ばれていました。
生で食べる習慣はヨーロッパではあまり無いようなので奇異にうつったのでしょう。他にも、「魚の腐敗した内蔵」つまり塩辛を肴にして好むとも書いてあります。


「われわれの間では撃剣をする時ものを言わない。日本人は切りつけたり、逆打ちをくらわせる毎に必ず叫び声を発する。」(第7章)

剣を振るったりする時の気合いのかけ声が変に感じられたのでしょう。
他のところにも書いてありしたが、どうやら、弓を射るときも気合いの声をあげたようです。


「われわれの(馬)は走っていても、ぴたりと止まる。彼らのはひどくあばれる。」(第8章)

馬の調教技術が未熟で、馬を自在に操る馬術そのものがヨーロッパの方がはるかに発達していたようです。ヨーロッパには有名な馬術学校が16世紀にはすでにあったようですし。
日本では明治になるまで、馬に蹄鉄をはかせたりもしなかったようで、藁で作った馬用の靴みたいのをはかせたりしていました。また、去勢もしなかったようで、日清戦争の時、日本の軍馬がひどく暴れたと欧米の記者たちが書いています。


「われわれは瀉血療法をおこなう。日本人は草による火の塊を用いる。」(第9章)

これはお灸について書いたものですね。瀉血療法はわざと血を出させる治療法。ヨーロッパでは体液学説から体内の過剰な体液を排出すべきと考え、さらに「悪い血」が病気のもととなっているという考えもあったので、それを抜くために血管を開いて血を抜いたわけです。
鍼灸療法は明代の中国にやってきたヨーロッパの宣教師たちによってヨーロッパにも紹介されていたはずですが、広く知られていたわけではないのでしょう。


「われわれは書物から多くの技術や知識を学ぶ。彼らは全生涯を文字の意味を理解することに費やす。」(第10章)

文字がたくさんあることと、その勉強が大変なことを書いています。表音文字と表意文字の文字数の違いについても書いています。当時は別に事前に勉強できたりとか教材があったわけでもなかったでしょうし、ヨーロッパの人が日本に来て日本語を習得するのは苦労したことでしょう。そういえば、フランシスコ・ザビエルは日本語についてあまりの難解さから「悪魔の言語だ」と言ったとか。


「われわれは宝石や金、銀の片を宝物とする。日本人は古い釜や、古いヒビ割れした陶器、土製の器等を宝物とする。」(第11章)

まさに『へうげもの』の世界の話。日本人の独特の美意識は、ヨーロッパの人たちの考え方とはどうもずれていたようですね。これの他にも、古い刀ほど愛好することとか、墨一色で書かれた水墨画が非常に高価であったことなども書いてあります。


「われわれは海の精や海人のことはすべて虚構と考えている。彼らは海の底に蜥蜴の国があり、その蜥蜴は理性を備えていて、危険を救ってくれると思っている。」(第12章)

ちょ、まっ、それは竜宮城だッ!
そうか~、「蜥蜴の国」か~。リザードマンでもいそうだなぁ。


「われわれはクラヴォ、ヴィオラ、フルート、オルガン、ドセイン(葦笛)等のメロディによって愉快になる。日本人にとっては、われわれのすべての楽器は、不愉快と嫌悪を生じる。」(第13章)

日本人の音楽的感性について書いたもので、他にも、日本の歌は単調で喧しいとか書いてあります。また舞踏についても、ヨーロッパ的な情熱的なダンスは受け入れられなかったようです。特に日本人にとっては、ヨーロッパの上に跳び上がるような動きのダンスは奇異に写ったようです。


「われわれの間では人を殺すことは怖ろしいことであるが、牛や牝鶏または犬を殺すことは怖ろしいことではない。日本人は動物を殺すのを見ると仰天するが、人殺しは普通のことである。」(第14章)

日本では牛馬の肉を食用に用いなかったためか、動物を殺す必要性がなかったのでしょう。
ヨーロッパでは司法関係の人でないと人を殺すことは正当ではなかったようなので、ポンポン殺しちゃうこの時代の風潮と、人々が動物を殺さないことから、このようなことを書いたのでしょうね。
ちなみに、他のところで、日本人は牛や羊などは食べないが、イノシシ、犬、鶴、猿などを食べると書いてあります。


こうやって、フロイスの視点で当時の日本を見てみると、いろいろと現代との共通点や逆に違う点などがあってなかなか興味深いです。そしてその日本をフロイスがどういった気持ちで眺めていたのか、ということも考えるとなんだか楽しくなってきますね。


ついでにフロイスとイエズス会の解説記事抜粋。

>ルイス・フロイス
1532年頃~1597年7月8日生没。ポルトガルのイエズス会司祭。別名ポリカルポ(Polycarpo)。リスボンに生まれる。1548年イエズス会に入り、1か月後東インドに派遣されゴアの聖パウロ学院に入学。そこで日本人最初の神学生パウロ・弥次郎と知り合った。ザビエル(ハビエル)から日本の事情を聴き、日本布教の志を起こす。61年司祭に叙階され、学院長、管区長らの秘書をつとめた。62(永禄5)年日本布教の命を受け、翌年肥前横瀬浦に上陸、以来大村領、有馬領、松浦領度島(たくしま)に布教。65(永禄7)年京都に入り、京畿地方に活動を拡げた。その間、69(永禄12)年京都で、翌年岐阜で織田信長に会見、その厚意を得て近畿布教に成果をあげた。70(元亀1)年オルガンティーノに上洛を乞い、76(天正4)年後事を託して九州に去り、大友宗麟の居城豊後臼杵に在って、宗麟およびその一族を入信させた。81年巡察師ヴァリニャーノに随行して京都で信長に会い通訳をつとめる。同年京都を去り、越前に赴き、配流中の高山右近を北庄に訪ね、慰めと激励を与え、再び九州に赴く。イエズス会総長メルクリアン(Mercurian)の命により、『日本史』(柳谷武夫訳、1963-78)編纂を始め、1586年完成。92年(文禄元)年ヴァリニャーノと共に一時マカオに赴く。同年長崎に帰り、97(慶長元)年長崎における日本二十六聖人の殉教を見て、その記録をローマのイエズス会本部に送り、間もなく没する。日本より送った多数の書翰は現存し、キリシタン研究の重要な資料となっている。
(『キリスト教人名辞典』P1357より抜粋。)

>イエズス会
カトリック教会における最大の男子修道会。イグナティウス・ロヨラによって1534年創設。40年教皇に認可され、反宗教改革の旗手となった。16-17世紀は中南米、インドを拠点に中国、日本など東洋諸地域への海外布教活動を行う一方、カトリック諸国の貴族の子弟の初・中等教育を担う。スペインでは、歴代国王の聴罪師として政治的にも影響力を持った。18世紀に、伝統的宗教を理性に基づいて批判した理神論と対立し、西、独、仏各国や中南米から追放された。19世紀初め復権し、現在全世界で教育、文化、社会活動に従事している。
(『角川 世界史辞典』P66より抜粋。)

『ピルグリム・イェーガー』にも登場するハチャメチャコンビが作った組織ですよ(違うっ!)。ちなみにイエズス会は現在もあるので、その日本管区もあるのですが、公式ホームページなんかも持ってたりします。


そういえば、こんなニュースがあったのでついでに。

ブルーカードも登場 神学生らがバチカン版「W杯」
http://www.asahi.com/international/update/0224/019.html
「世界50カ国のカトリックの神学生らによる初のサッカー大会「クレリクス・カップ」(聖職者杯)が24日から6月にかけてイタリアのローマで開催される。ANSA通信によると、約300人のバチカン系の教会関係者が16チームに分かれてゲームに臨み、決勝戦を目指す。 」
(asahi.com2月24日記事より抜粋。)

これ、聖職者の儀式用の格好とかしてやったら面白いでしょうね~。ゴテゴテで走りにくそうだし、あの帽子じゃヘディングできない。
試合においてはイエローとレッドのカードの他に、「反則行為の選手に5分間休憩して悔い改めるよう促す「ブルーカード」も出す。」とのこと。まあ、聖職者ならではですね。

あと、こんなサイトも見つけました。

クリスチャントゥデイ
http://www.christiantoday.co.jp/index.php

キリスト教系のニュースサイト。なんか視点が独特で面白いし、マイナーニュースもありますよ。コラムも独特!


参照サイト
イエズス会日本管区
http://www.jesuits.or.jp/

関連記事
日本ポーランドの人物交流史が特集。『ポロニカ(Polonica)ポーランド文化の現在・過去・未来』93年no4
http://xwablog.exblog.jp/9894685
越前から取って返した羽柴隊が浅井を攻める。小谷城虎口攻め編。宮下英樹『センゴク』13巻から15巻まで
http://xwablog.exblog.jp/10496826/
時代劇や漫画小説がどれだけ実像と違うか解ると吃驚します。東郷隆&上田信『絵解き 戦国武士の合戦心得』
http://xwablog.exblog.jp/10516201/


この記事へのコメント

うを、こんな面白そうな本がありましたか!

> 『ピルグリム・イェーガー』にも登場するハチャメチャコンビ

復活を切に願う次第ですよ。ロヨラさーん!
女装の似合うザビエル君が、後に河童オヤジになるかと思うとちょっと哀しいものがありますが。
Posted by 蒸しぱん at 2007年02月27日 01:40

佐藤賢一の『カルチェ・ラタン』にもザビエル・ロヨラのコンビが出て来るのですが、脳内イメージはもう伊藤真美絵です。ザビエルの描写で「異様に毛深い」とか書かれてますがそんなの目に入りません入りません。
Posted by 速水螺旋人 at 2007年02月27日 04:00

そういや、最近『アワーズ』に載ってないですね。『平成コンプレックス』もですが。

女と見まがう美少年→河童オヤジ
というザビエル君の華麗なる変身はある意味衝撃です。

>カルチェ・ラタン
まだ未読なんですが、あのコンビも出てくるのですか。ザビエルのイメージはあの有名な絵画か伊藤真美絵のどちらかという両極端ですが、ロヨラのイメージはもう伊藤真美絵で入りました。

ヨーロッパの人が子供の頃は愛くるしい美少年だったのが、大人になると・・・というのはよく聞く話。たぶん、あの伊藤版ザビエル君も、この後モジャモジャになるんですよ。上から下までモジャモジャ。頭頂部だけハゲ。
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年02月28日 00:22

フロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」ようやく読み終わりましたが、

〉われわれの劇は普通夜間に演ぜられる。日本では昼でも夜でもほとんどいつでも行われる。

って、なんだか、楽しそうな国じゃないですか~。
ビゴーとかの明治初期の日本の話とも共通することも多いんですね。子供が子守してるとか。

驚いたのは、日本では馬に右から乗るっていうの。
「馬は左から」って世界共通じゃなかったのか~。
あと、

〉われわれの間では盲人はきわめて平和を好む。日本ではたいそう闘争を好み、杖や脇差を帯びている。そしてたいそうちやほやされている。

ざ、座頭市?
映画の中だけの話じゃなかったのか。>ちやほや
Posted by 雪豹 at 2007年03月27日 20:32

>明治初期の日本の話と共通
日本にきた外国人が注目するところが、時代を下っても同様だったという点も面白いですね。
しかし、子供が子供のおもりをするというのは外国じゃあまりなかったということなのでしょうかね。いくらでもしそうな感じもしますが。

>馬は左から
なんで日本だけ右になっちゃったんでしょうね。腰に刀とか差してたら、右からだと乗りにくそうかも。

>盲人
琵琶法師などがいたから、「僧侶に対する敬意」が盲人に対するちやほやになった、とか?
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年03月28日 04:20
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by xwablog | 2007-02-27 01:12 | 書庫
古田左介、ついに「織部」の官職を授かる! 山田芳裕『へうげもの』第4巻
うー。ねっ転がりながら『興亡の世界史』第1巻を読んでたんですが、うっかり寝てしまい、手から滑り落ちた本が顔面直撃ですよ。
い、いたい。

それはともかく。
これのキャラクターたちは生き様がかっこいいですね。命かけてやってますよ。

へうげもの第4巻_山田芳裕

『へうげもの』第4巻

(山田芳裕。講談社。モーニングKC。2007年。514円)
「明智光秀が倒れ、ついに秀吉の天下がはじまる。その秀吉の信長殺しの事実を知ってしまった古田左介だったが、それでも秀吉についていこうと決心する。秀吉に敵対する徳川家康との和睦交渉を成功させるなど功績をあげ、義兄・中川清秀の死後、古田自身も山城に領地を与えられた古田は、ますます数奇の道を歩み、千宗易の提唱する新しい感覚、わびやさびといったものに傾倒していくのだった・・・」

とうとう左介が秀吉から官職を貰って「織部」を名乗るようになります。

「授かりたいのは・・・古来より織物や染物を司る職・・・『織部』にございます」

そうか~。古田左介が選んだのはまさに彼のセンスに合致する官職だったわけです。実より名を取るのもまた彼らしいのか。
千利休が秀吉と思想的に対立していく姿が面白いですね。もしかしたら、この連載は千利休が処刑されるあたりまでで終わるとか?
古田も信長に倣って自分の焼き物を作り、まさに織部焼のもとを作っていくようです。大名になって、自由にやることができるようになると、こういう人は止まらないですよ~。

この前、本屋でちょっとだけ立ち読みした、『海外貿易でみる戦国時代』(タイトルは確かこんな感じの)という本が面白かったです。なんか、範囲外なんですが、少し日本史にも手を出したい今日このごろ。


参照サイト
へうげものofficial blog
http://hyouge.exblog.jp/
ドンナ・ドンナ
http://www.donnadonna.net/

関連記事
戦国時代の武将たちがマニア道を命がけで語るひょうげた漫画『へうげもの』は最高のかぶき者漫画
http://xwablog.exblog.jp/7239549
大茶湯で数寄の天下を取ろうとする佐介なのだが・・・。山田芳裕『へうげもの』第6巻
http://xwablog.exblog.jp/8417794
利休がとうとう秀吉を排除しようと画策しはじめる。山田芳裕『へうげもの』第8巻
http://xwablog.exblog.jp/10422598
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by xwablog | 2007-01-29 00:42 | 史劇
武器となるのは己の肉体のみ! 戦国時代プロレス。石渡治&蝶野正洋『白兵武者』第1巻
20061116くらい

仕事の方も年末進行で凄い忙しい。その上で深夜に帰ったらそれから同人誌作業やってます。ま・・・まずい。間に合うのか?

それはともかく。
とんでも設定だけど、それを超越する勢いで面白いですよ。

白兵武者第1巻_石渡治蝶野正洋

『白兵武者(はくへいむしゃ) 戦国近接戦闘僧兵伝』第1巻

(石渡治&蝶野正洋。小学館。2003年。505円)
「武器を持たず、鎧だけを着て、組み手のみで敵を倒していく鬼神のような男たち。但馬の山名家に組する白兵武者に拾われた蝶野正之進は、最強の『鎧組み打ち』を習得し、戦国の世をその技で関わっていくのだが・・・」

ちょ! なっ! プ、プロレスぅ!?

あー、これ、説明はいらないかもしれない。脳みそでなく筋肉で読める。プロレスが大丈夫ならノレます。まあ、一応、戦国時代を舞台にして、素手で最強になっていく男の物語、とでもいっておきましょうか。プロレスラーの蝶野正洋氏が原案なので、そーゆうことです。

てか、これに出てくる登場人物の顔が! まんまじゃないですか?
楽しんでるなぁ。


参照サイト
蝶野正洋公式
http://www.aristrist.com/black_spirits.html

関連記事
時代劇や漫画小説がどれだけ実像と違うか解ると吃驚します。東郷隆&上田信『絵解き 戦国武士の合戦心得』
http://xwablog.exblog.jp/10516201/
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by xwablog | 2006-11-16 00:33 | 史劇
戦国時代を舞台にした漫画ふたつ。森田新吾『影風魔ハヤセ』第3巻、山田芳裕『へうげもの』第3巻
影風魔ハヤセ第3巻

『影風魔ハヤセ』第3巻

(森田新吾。講談社。イブニングKC。2006年。514円)
「信長を岐阜城へと逃すことに成功したものの、海士と蝉丸を道連れにオロシが死亡する。しかし、秀吉の思惑のさらに上を読み、信長はハヤセとともに秀吉の軍勢を阻止することに成功する。だが、再び服従させた明智光秀は、またも信長に刃向かうことに。父・信長が倒れた今、その意志をハヤセが継ぐ・・・」

史実とは違う展開をするのかと思ったら、史実ベースで上手い具合に話を作っています。ハヤセは秀吉と家康を生かしておいて自分の計画に賛同させることに成功します。そうしてハヤセが公式な身分として手に入れたのが、「石田三成」というわけだったのです。彼の計画に乗っ取って、本能寺後の日本史の平和への流れが形成されていきます。
うーむ、しかしちょっと不満の残る展開でした。もっと忍法合戦みたいのがガシガシ続いていくのかと思ったのですが、それほど敵方の忍者の重要性がなくてもったいなかったかなとか。
でも、3巻で上手くまとまってはいます。

へうげもの第3巻_山田芳裕

『へうげもの』第3巻

(山田芳裕。講談社。モーニングKC。2006年。514円)
「信長暗殺に成功した秀吉は、古田左介を通じて中川清秀を見方につける。明智光秀がなかなかその行動が理解されない中で孤立していくが、すべては秀吉の策略だったのだった。左介はすっかり秀吉の策によって誘導されたわけだが、信長の死の原因となった不審者を見ていた弥助によってそれが秀吉のやったことだと知り・・・・」

またも秀吉による信長暗殺もの。ネタがかぶってますよ。お二人。
しかし、まあ信長が胴体斬られてもまだ語るところは、さすが山田芳裕氏、とか思いました。
左介は信長の死がショックで、すっかりあの濃いキャラクター性を出していた名物とかに対する偏愛・こだわりが無くなってしまって・・・・いない! ちょっと萎れてますが、やっぱりあの物に対する執着が面白くみせてます。

参照サイト
モーニング
http://www.e-1day.jp/morning/magazine/

関連記事
壮絶なる忍術合戦! 『影風魔ハヤセ』第2巻という記事
http://xwablog.exblog.jp/7457645
戦国時代の武将たちがマニア道を命がけで語るひょうげた漫画『へうげもの』は最高のかぶき者漫画
http://xwablog.exblog.jp/7239549
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by xwablog | 2006-08-26 13:21 | 史劇