デジタル・クワルナフ
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2006年 01月 20日 ( 1 )
ヂェブリャンスクで検索かけても出てこないから。『ドイツ農民戦争』『世界歴史大系ロシア史』の誤植
これも古い記事。
前の時、誤植を逐一書いていこう、とか思ってこういう記事も書いたりしましたが、すぐにやんなくなっちゃいました。

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2006年01月20日
ヂェブリャンスクで検索かけても出てこないから

『ドイツ農民戦争』と『世界歴史大系ロシア史1』に誤植をみつけました。

ドイツ農民戦争


『ドイツ農民戦争』

(エンゲルス。訳/大内力。岩波書店。岩波文庫34-128-4。1950年。300円。)
序(1870年第二版)
跋(1875年第三版)
1、ドイツの経済状態と社会階層
2、一大反対派の結成とそのイデオロギー
 ルターとミュンツァー
3、1476年から1517年にいたる大農民戦争の先駆者
4、貴族の一揆
5、シュヴァーベン、フランケンの農民戦争
6、テューリンゲン、アルサスおよびオーストリアの農民戦争
7、農民戦争の結果
付録 農民の12か条


岩波文庫の『ドイツ農民戦争』(自分のは第19版)の12ページ、七行目の中央、人名の「ツィムメルマン」が「ツィムメル ン」という風に「マ」が一字抜けてしまっています。


あと、『世界歴史大系ロシア史1』P61の地図で、巡回徴貢の順路の上にある「ヂェブリャンスク」は「ブリャンスク」のことかも。デスナ川(ヂェスナ川)の流域にある別の街という可能性もあるけど、グーグルで検索しても出てこないから、ただの間違いのような気も。しかも、この街、建設が1146年らしいから、巡回徴貢やってた時代には無かったかも? 集落はあった? もしくは史料での初出が1146年ということかもしれません。

ちなみに今回からカテゴリの「ロシア」を「ロシア・CIS」に変更しました。でも、この大ざっぱ過ぎるカテゴリのくくり方ってどうだろう。本来ならベラルーシやウクライナ、中央アジア、シベリアなどで分けた方がいいんでしょうけど・・・。とりあえず。

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この記事へのコメントがみはらさんからありました。

「ジェブリャンスク」と「ブリャンスク」は同じとのこと。歴史的には985年からあった、ジスナ川右岸の防御施設を持った集落。年代記の初出が、イパチー年代記(イパツィー)の1146年。ここに「ジェブリャンスク(Debryansk)」という集落が登場、という内容。

これに対する私の返事。

どうも〜。お久しぶりです。あのロシア都市本の序文面白く読ませていただきましたよ〜。
そして「ジェブリャンスク」の情報ありがとうございます。ブリャンスクとイコールだったわけですね。『世界歴史大系ロシア史1』は間違っていなかったということでよかったです。というか、前のスタンブルのことといい、自分の無知をさらけだしてしまいました。皆さんフォローありがとうございます。
しかし、ブリャンスクの建設が985年となると、ウラジーミル1世の時代ですが、もしかしたら周辺諸部族への征服とこの街の建設が関連するのかもしれませんね。
ちなみに、ブリャンスク建設が1146年だと書いてあったのは『コンサイス外国地名事典』です。専門の歴史書とかじゃないと、史料初出と建設年が同じに扱われちゃったりすることもありますから参ります。
Posted by 管理人・馬頭 at 2006年01月21日 01:53

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誤植があると言っておきながら、実は、これの元の文は
>「マ」が一字抜けてしまっています。
の部分が、
>「ン」が一字抜けてしまっています。
となっていて、間違っていました。
誤植指摘の記事で誤植するってどんなだ・・・・

これのタグをどうしようかと思ったのですが、近世ドイツに入れたかったけど、自分的な分類では、中世ドイツ史に入るんですよね。そもそも、中世から近世・近代への移行というものは、支配階層と対置される存在が、「農民」から「市民」になっていく、という捉え方で見てますので、そうなると、この農民戦争は、中世最後の時代の大一揆というものでしょうか。その解釈が間違ってるか合ってるかどうかはともかくとして、自分的にはそんな感じ。
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by xwablog | 2006-01-20 03:29 | 書庫