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ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの自伝『鉄腕ゲッツ行状記 ある盗賊騎士の回想録』。痛快極まる面白さ!
web拍手レス
>鉄腕ゲッツ面白そうですね。「サムライとヤクザ」という本を思い出しました。
基本的にこの人は、自分のために行動したので、任侠とか武士道とかとはちょっと違うかもしれません。他人のフェーデに参加したのだって、人助けとかそういうのじゃないですし。でも、かぶき者とかには通じるところがあるかもしれない?

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どうも。馬頭です。今日はカレル大学が創設された日ですね。

ところで、この二週間何をしていたかというと、知り合いの同人誌にボヘミアのヨハン盲目王についての短い記事を書くことになり、それをずっとやってたのでした。最近の集中力低下は酷いもので、ブログの記事と同時にだと進まなそうだったので、ブログはちょっと手を止めて、ヨハン王についてずっとやってました。
ほんの2ページ分でいいというので簡単にできるだろうとか思ってましたが、『王権と貴族』とか『世界歴史大系』とか『オーストリア史』とかいろいろ読み直してたら、思ったよか時間かかりました。昨日完成したので、ブログの方を再開したというわけです。

これやってる間にも他の本とかも読んじゃったりしてたのですが、その中で、これは非常に面白かったです。



『鉄腕ゲッツ行状記 ある盗賊騎士の回想録』

(ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン。訳/藤川芳朗。白水社。2008年。2500円。244ページ)
訳者まえがき
構成
献辞
第一部 フェーデ
その一 生い立ち、ブルグント遠征、辺境伯の小姓としての日々
その二 スイス戦争、マクシミリアン1世から言葉をかけられる
その三 盗賊騎士ゲッツの誕生、ニュルンベルク戦争での大手柄
その四 厚顔無恥な傭兵を相手に、危険な大立ち回りを演じる
その五 追い剝ぎ同然の騎士たちがぶつかり合う、小さな逸話
その六 砲弾で片手を失うが、鉄腕騎士となってますます暴れる
その七 姓名未詳の煽動者を支援した、ゲッツ兄弟の短い逸話
その八 対ケルン市のほか、フェーデがフェーデを呼ぶ日々
その九 対バンベルク・フェーデ、ただし狙いはニュルンベルク
その十 帝国追放刑と破門、さらには戦争で捕虜となる体験
その十一 生涯最高額の身代金を得るフェーデ、他の騎士との確執
第二部 農民戦争
その一 農民軍に無理強いされて、その隊長となったいきさつ
その二 農民戦争の責任を問われ、二年の幽閉生活を送る
その三 釈放に際しての条件、裁判官の横顔とルター派の信仰
その四 シュヴァーベン同盟解散で失われた釈明の機会
第三部 騎士としての武力行動
その一 若いころ、一貴族の争いに加勢し、捕虜となる話
その二 ジッキンゲンを訪れる途中、見知らぬ騎士に襲われる
その三 恩赦で軟禁を解かれ、対トルコ戦争でウィーンにおもむく
その四 すでに高齢ながら、カール5世のフランス遠征に参加する
その五 世のため人のために生きたことを、今一度教訓として語る
その六 神の恩寵を信じつつ、回想に終止符を打つ
訳注
ゲッツ年譜
訳者あとがき

中世末期/近世初期、15世紀と16世紀のドイツに生きたひとりの騎士の回想録の翻訳です。
ゲッツはゴットフリート・フォン・ベルリヒンゲン(ゴットフリートの愛称がゲッツ)という騎士でしたが、生涯にわたってさまざななフェーデ(私闘)を繰り返し、自分のどころか他人のフェーデにまで手を貸して当人よりも大活躍したりする上に、商隊を襲うなど盗賊騎士としても悪名高く、たいそうな暴れん坊でした。彼は1480年頃に生まれ、1562年まで長生きしたのですが、晩年近くなって自分のしてきたことを回想録にまとめました。これはベルリヒンゲン家に代々伝わり、あまりの面白さから、どんどん写本が作られ、さらには出版されていくことになります。19世紀半ばになって子孫のフリードリヒ・ヴォルフガング・ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン=ロサッハ伯爵という人が、『鉄腕騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンとその一族の歴史』という本を書いてたりしますが、その他にも多くの作家が彼をモチーフに作品を描き、中でもゲーテが1773年に『鉄腕ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』というものを書いていたりもします。
ゲッツが「鉄腕」なるあだ名をちょうだいしているのは、若い頃に参加した戦いで、砲弾があたって重傷を負って右手を失い、それ以後は機械仕掛けの精巧な義手をしていたためです。彼はそんな体になっても以後もフェーデを続け、浮き沈みの激しい生涯を送った人物でした。
そんなゲッツが書き出した彼の人生の物語は、緊迫する戦争のやりとりや、喧々諤々の大騒動、笑ってしまような間抜けなエピソードなど様々な話が盛り込まれ、生き生きと描写されています。大都市を相手に渡り合ったり、著名な人物が登場したりと、思わず「おお〜っ!」と言いたくなるような、痛快で面白い冒険物語となっているのです。
内容は判り易く、文も読み易く、ある意味小説のような感覚で読めるのではないでしょうか? これは中世・近世のヨーロッパ史に興味がある人にはオススメです。特に当時の様子について知りたい人にとっては超オススメの一冊となっています。是非どうでしょう?

○追記
せっかくなので興味深かった部分など抜粋してみます。

「さて、ニュルンベルクの者たちと敵対するつもりであったことを、わしは誰にも隠し立てしようとは思わぬ。すでに準備に取り掛かっていたときに、どう進めるのが一番よいかを、今一度じっくり考えた。そして思いついたのが、まずは例の坊主、つまりバンベルクの司教と談判する、という手であった。そうすればニュルンベルクの者たちも黙ってはおるまい。このような考えから、わしはまず、司教が通行の安全を保証した九十五人の商人たちを襲い、引っ捕えてこっちの言うとおりにさせた。」

ゲッツはこんな感じで人びとを捕えては身代金を取ったりして稼ぎました。基本的には「フェーデ」という形で正統な理由を持って行うのですが、中には理由を後付けして襲う場合もあったようです。
しかし、捕まってしまう人の中には運の悪い人もいるようで、次のようなことがあったようです。

「つまり、前々から知っていたことだが、ニュルンベルクの商人がフランクフルトの見本市に行くときは、ヴュルツブルクに泊まった翌日、徒歩でハビヒツタイルとマイン河畔にあるレングフルトの町を通り抜け、シュペッサルト山地に向かうことになっていた。わしはまず確かな情報を集め、やがて五人か六人の商人を引っ捕えた。そのなかの一人はこのわしにすでに三度、しかもこの半年のあいだに2度とっつかまり、一度は金品を取り上げられていた。ほかの者たちはニュルンベルクのしがない荷造り人たちであった。」

三度も! 捕まり過ぎだ。災難もいいとこです。

他にもいろんな戦いがあるんですが、とある村で因縁のある人物とその主人の騎士を追いかけ回していた時、逆に農民たちに襲われる話なんてのも面白かったです。

「そうやってわしが村のなかでやつを追いかけ回していたとき、一人の農民が石弓に矢をつがえているのが目に入った。そこでわしはそいつに突進し、射るまえに矢を払い落としてくれた。それからすぐに馬を止め、そやつを剣で一突きして、わしがナイトハルト・フォン・テュンゲンの一党であること、したがってフルダの味方だってことを思い知らせてやったよ。ところがその間に農民たちが群をなしてやってきて、手に手に豚小屋用のフォークだの手斧だの、あるいは投げ斧やら薪割り斧やら石やらを持ち、わしを取り囲みおった。俗に言う、『ぶん投げろ、さもなきゃ何も始まらぬ、ぶっ叩け、さもなきゃ何も手に入らぬ』というやつで、手斧やら石やらがわしの頭をかすめてびゅんびゅん飛び交い、こっちのお椀を伏せたような格好の兜を直撃するのではないかとひやひやしたよ。」

なんかその場面が思い浮かべられて笑えます。この本はそういう想像を誘う場面が多いです。

あと、東欧関連の話ではこれが面白い。
1499年、まだゲッツが若い頃、小姓としてホーヘンツォレルン家のアンスバハ辺境伯フリードリヒ5世に仕えていたのですが、その時にポーランド人と諍いを起こしたことがありました。

「ある日、食事のときにたまたまポーランド野郎の隣の席につくことになった。そいつはな、髪の毛の色つやが良くなるからと、溶いた鶏卵を塗っておるようなやつだった。わしがそのとき、わが殿ファイト・フォン・レンタースハイム様がナミュールで作らせてくださった、フランス風の長い上着を着ておったのは、思えば幸いなことであった。というのも、わしが今しがた述べたポーランド野郎の隣で勢いよく立ち上がったとき、知らぬうちにその上着が触れて、やつのきれいに撫でつけた髪を乱してくれたのだ。まだわしが立ち上がっている最中のことであったが、やつがパン切りナイフで突きかかってくるのが目の隅に入った。こっちのからだはかすりもせなんだが、わしがこん畜生と思ったのも道理というものであろう。わしはそのとき長い剣と短い剣を手元に携えておったのだが、とっさに短い方をつかむと、奴の頭をポカリとなぐってやった。それでも小姓のお勤めは決められたとおりにつづけ、その夜は城にとどまっておったよ。」

血気盛んなお年頃ですから、こんなしょーもないことで喧嘩も起きようというもの。しかし、翌日、次席侍従からお前を捕えるとのお達しが。納得できないゲッツは辺境伯フリードリヒの息子たちのところへ行き、匿ってもらう。しかし、王子たちが父や母のところに行ってとりなしたものの、ゲッツが一応罰せられないといけないということになってしまいます。なにせ、ゲッツが問題を起した相手のポーランド人は、辺境伯フリードリヒの妃ソフィア(ゾフィー)の関係者だったのです。なんで、辺境伯の妃とポーランド人に関係が?、と思うかもしれませんが、このソフィアという奥さんは、当時のポーランド王ヤン1世の妹で、前王カジミェシュ4世の娘だったのです。ここでゲッツがちゃんと処分されないと、妃側の面子が立たないというわけで、さすがに王子たちでもどうにもできなかったみたいです。ちなみにこの王子たち三人の中の三男アルブレヒトは、1512年にドイツ騎士団の総長に就任し、さらに1525年にはプロイセン公となるのです。つまりプロイセン公国、ひいてはドイツ帝国はこの人から、という大事な人なわけです。こんなところでもゲッツは著名人と関わっていたりします。この本には他にも神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世や、騎士戦争の参加者ジッキンゲンやフッテンなども登場します。
さて、このポーランド人の小姓とのいざこざですが、さらにひとつエピソードが入っています。あの後ゲッツはある場所でポーランド人の小姓とばったり出会うのです。

「と、どうしたことか、不意に当のポーランド野郎が、とはつまりわしが城中で殴りつけてやったやつ、そして今はわしに仕返ししたがっているやつが、思いがけず一人でこっちへやって来るではないか。わしもまた一人であったから、千載一遇の好機が訪れたのであった。そこでわしはすぐさま意を決して、やつに戦いを挑み、攻めに攻めた。やつはたまらず逃げ出して、自分がそのころ仕えていたリトアニア公の宿所に飛び込んだ。さもなければ、かならずや一太刀あるいは幾太刀か食らわせてやったものを。それにしても人だかりがすごかったから、市場や家の窓からわしらを見ていた人間は百人にものぼったであろう。」

当時、アンスバッハにリトアニア公の宿所があったというのも面白いですね。この時のリトアニア公アレクサンデルは、ヤン1世と同様にカジミェシュ4世の息子のひとりで、辺境伯の妃ソフィアの兄弟ということになります。

これの他にも、とあるボヘミア貴族が、その時のボヘミア王ヴワディスワフ2世(ハンガリー王でもあったのでウラースロー2世でもある)に叛旗を翻すため、あることに手を貸そうとするも失敗してしまう、という話が入ってます。これなんかも面白いですよ。だいたいこのヴワディスワフ2世ってのもやはりカジミェシュ4世の息子のひとりで、妃ソフィアの兄弟なんですから。

他にもいろいろ面白い逸話がありますが、それはどうかこれを読んでみてください。

ところで、鉄の義手に「ゲッツ」という名前、というと、漫画の『ベルセルク』を連想してしまいますね。『ベルセルク』の主人公は「ガッツ」で鉄の義手ですし。でも、作者の三浦建太郎氏は、ゲーテの『鉄腕ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』は知らなかったとか言ってるみたいです。でも、ここまで似てるのは、どこかでこのゲッツについての話を聞いたことがあって、それがモチーフになって作られたんでしょうね。

あと、『銀のうでのオットー』に言及したかったけど、本が見つからないので、それについてはまた今度。

参照サイト
白水社
http://www.hakusuisha.co.jp/
鉄腕ゲッツ行状記
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02629

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