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  デジタル・クワルナフ
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後北条氏の重要拠点。北条氏照が作った八王子城の跡に行ってまいりました。
20日セルビア大統領選、現職と民族派の一騎打ち(日経ネット)
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080120AT2M1900819012008.html
「欧米は極右民族派候補の台頭を強く警戒し、現職を支持している」これって、内政干渉なんじゃないのか?

平和大使にG・クルーニーさん=ダルフール危機解決を訴え−国連(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date3&k=2008011900142
さすが、ピースメーカー。

<山の事故>中央アルプスの宝剣岳で男女2人が滑落 (エキサイトニュース)
http://www.excite.co.jp/News/society/20080120203800/20080121M40.069.html

謎の人物、今年もエドガー・アラン・ポーの墓に供え物
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081200802742.html

サーカシビリ大統領が就任=「国土統一」課題に−グルジア(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008012000197


それはともかく。
本日はロシア帰りの恐るべき二人組・奥野さんSとともに山登りに行ってまいりました。

JR高尾駅下車


場所はJR高尾駅下車。思ったより小さな駅でした。
で、どの山に行ったのかと言うと、高尾だからといって高尾山ではありません。



八王子城遠景


駅からバスに乗ってちょっと行ったところにある、この写真の中央の山。
ここには戦国時代の山城の跡、八王子城趾があるのです。この山に登りました。今回は馬頭にとっては初の山城登りというわけです。



登山道の入り口


これは登山道の入り口。すでにここらへんは城を構成する部分でしたので、この入り口の手前には堀になるような深い沢がありました。まずはここから登っていきます。
八王子城は、後北条氏の北条氏照、1580年代の半ばから後半あたりの時期にこの山に山城を築城したといわれています。そして、1590年における豊臣秀吉の小田原遠征(小田原の役)の時、前田利家、上杉景勝らの大軍によって攻撃を受け、激戦の結果、わずか一日で落城してしまいました。城主であった氏照は小田原にいたのですが、この城につめていた守備兵と婦女子はたくさん戦死したといいます。



北条氏照のお墓


ちなみに登山道の入り口より手前の場所に、北条氏照のお墓があります。彼は北条氏が降伏した後、切腹を命じられていて、小田原にもお墓があるようですが、こっちにもあります。




冬山の山道


鬱蒼たる山の中をどんどん登っていきます。冬の山というのでもっと緑が少ないかと思ったのですが、意外とあります。



曲輪の跡


山の尾根伝いに登っていくと、そこにはこの写真でもわかるような段々が作られているところの横を通っていきます。この段々は、かつての曲輪の跡で、この上から北条の兵士たちは下を攻撃したのだとか。斜面は非常に急で、比較的登りやすい尾根にはこういった防御施設がいくつも設けられていました。



八王子権現を奉る八王子神社


そうして、ひいひい言いながら頂上近くまで登ると、広いスペースがあり、そこには八王子権現を奉る八王子神社があります。916年建立とも。この神社の名前からこの山城は八王子城と名付けられ、それが八王子市の名前の由来となるのです。



山頂からの絶景_関東一望


そして神社の近くから見た景色が絶景でした。
頂上じゃないのですが、道の途中に見晴らしのいい場所があり、そこから下を眺めた様子です。
関東平野をはるか遠くまで一望できるという凄い景色。見渡す限り真っ平ら。関東ってほんと平野なんですね〜、と見てわかります。空気が澄んでると筑波山まで見えるらしい。



八王子城位置マップ


このマップを見てもわかるように、八王子城がある場所(緑色の矢印のところ)というのが、関東平野と関東山地の境目のあたりにあるわけで、西からの侵攻に対する重要拠点だったのです。




松木曲輪で食事


で、松木曲輪というところにベンチがあったので、そこでお弁当。菓子パン一つしか持って来てなかった私ですが、ありがたくもお裾分けをいただきました。ごちそうさまでした!
それにしても、1月だし、実は天気予報では雪が降るかもと言われていただけあって、寒い。山登ってる間は体温かかったんですが、座ってると冷たい風もあり、どんどん寒くなってきました。でも、登ってる間中、天気は良くてかなり助かりました。



馬冷しと呼ばれる場所


すぐ近くに山頂の本丸跡があったのですが、先に奥に行くことにして、馬冷しと呼ばれる場所に来ました。尾根の一部を崩して堀切にしたもので、くっきりと手を加えたその形が分かります。



詰城


その馬冷しからさらにかなり奥まで行くと、高い場所に詰城と呼ばれるものがあります。天主があったと言われてますが、実際にはかなり狭いので曲輪のひとつにすぎないとも。
この近くにはまた大きな堀切があります。先ほどのものよりさらに深いです。
この詰城からぐるっと廻って馬冷しに戻るコースをとりたかったのですが、道が分からないので、断念し戻ることに。



本丸跡


で、先ほどいかなかった頂上の本丸跡に行きました。



石垣


頂上まで行ったので、山を下りはじめます。途中にいろいろあったのですが、これは山腹のなだらかな部分を登りにくくするための石段。この場所には、同様の石段が四つもある。
この山は石が多く、北条氏の城にしては珍しく石垣を多用しています。



御主殿と呼ばれる城主・北条氏照の屋敷


そしてやっと下までつきました。
ちょうど御主殿と呼ばれる城主・北条氏照の屋敷があった場所に出ました。



御主殿の入り口


これは御主殿の入り口。かつての石の階段を復元してあります。
実はこの階段を下れば、曵橋という橋を復元したものもあったのですが、ちょうど工事中で渡ることはできませんでした。



これで八王子城巡りは終わりです。朝10時に高尾駅についてから、だいたい16時半か17時くらいまでかけて歩き回ってたことになります。
しっかりした山なので普通の装備でどうかと思ったのですが、ギリギリなんとかなりました。ちょっと辛かった部分もありましたが。
しかし、久々のアウトドアでしたが、山城跡を巡るというなかなか出来ないことができてよかったです。奥野さんがいろいろ教えながら連れてまわってくれたので、遺構にどのような意味があったのかなど、とても興味深い話もたくさん聞けました。いわゆる普通の「お城」などとは違うものなのですが、ロシア旅行の時にクレムリンやら土塁やらの跡をさんざんみてきたので、この手のお城らしからぬお城にもすっかり馴染んでしまってるので(これは何もかも奥野さんのs・・・じゃなく、おかげです。)、たいへん楽しめましたよ。
この八王子城は、近場にあって大規模で、見せ場がいろいろあって歴史的にも面白いという、なかなか充実したお城跡です。ハイキング感覚で行けるものですし、興味のある方はぜひどうでしょうか?


参照サイト
八王子城(埋もれた古城)
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tokyo/Hachiouji/
八王子城 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E5%9F%8E
北条氏照 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F%E7%85%A7
後北条氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F

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