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古代におけるエミシという呼称の使われ方の解説とそれがどういった人々かを検証。工藤雅樹『蝦夷の古代史』
最近自分が、北ユーラシアとか日本の東北地方とかに興味持ち始めちゃったりしたんじゃないかという疑惑があるんですが、もしそうだとしても自分は悪くないです。そこら関連の面白い話をする蒸しパンさんとかいう人がしょあくの・・・おっとヤベヤベ、これ以上は言えませんが、ともかく外部要因だということだけは覚えておいてください。

それはともかく。
なんか分かりやすい本ないかと思って新書系に手を出す私。

蝦夷の古代史_工藤雅樹

『蝦夷の古代史(えみしのこだいし)』

(工藤雅樹。平凡社。平凡社新書071。2001年。740円。印刷/図書印刷。装幀/菊地信義)
第一部 古代蝦夷の諸段階
第一章 古代蝦夷の諸段階
第二章 東国人としての「エミシ」-----第一段階
第三章 大和の支配の外にある者としての「エミシ」-----第二段階
第四章 大化の改新後の世界----第三段階
第五章 平安時代の蝦夷------第四段階
第二部 蝦夷はアイヌか日本人か

この本、ほんとにこんな目次通りの配分になってる。章付けとか普通に通し番号的につければよかったんじゃないのかな? 第二部が第六章にね。

古代日本において「エミシ」と呼ばれた人々は、時代によってその範囲や、またその呼称の意味そのものが少しずつ違っていた、ということが書いてある本。どうも、現代において古代の「エミシ」についての認識の違いが出るのは、時代ごとに違っていたその意味が、単一の意味にしか理解されていないことに原因があるとも書いています。
古代の「エミシ」は「毛人」や「蝦夷」と書きましたが、「蝦夷」と書かれるようになるのは、大化の改新以後のことだそうです。著者はこの本の中で、エミシの呼称を五段階に分けています。第一段階は大和朝廷の権力が東日本に及ばず、「エミシ」が東国人を広く意味した時代です。第二段階は大和の支配が広がり、その支配に服さない人々に対して「エミシ」と言われた時代。第三段階は大化の改新以後の時代で、この頃から「蝦夷」と漢字が当てられることになります。第四段階は、平安初期から平泉藤原の時代。第五段階は鎌倉時代以降となり、この第五段階についてはあまり触れていません。
当初「エミシ」はあまり悪いイメージのある言葉ではなく、だいたい「強い、恐ろしい、畏敬」といったニュアンスがあったそうです。蘇我毛人や小野毛人といった貴人の名前にも使われていて、そうした人々に使っても問題ない名前だったようです。他にも同系統の名前として「東人(あずまひと)」という名前があります。大野東人とか。
それが大化の改新以後あたりから、蛮族的イメージを付加されたのは、大化の改新によって起こった制度改革と当時の国際情勢などが関係するのでは、としていました。
大化の改新によってそれまでの国造制が律令制へと代わります。地方支配が間接支配から、中央集権的な直接支配になり(国造という役職は地方有力者が任命されましたが、東国国司は中央から派遣される)、東国は「国」から「コホリ(郡・評)」という単位で統治されるようになります。そして各地に城柵が建設され、進出の拠点となります。蝦夷たちは、当時蝦夷内で統一した国を作ったりできず、小集団ごとで生活していて、絶えず互いに争っていました。そこで、こうした強力な外部勢力を利用して、自分たちが優位に立とうとしたりするなどして、徐々に朝廷と関わり、朝貢するなどして、組み入れられていくことになります。
中国の思想では、四方にいる蛮族たちは「東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)」といっていました。朝鮮半島や日本といった極東の蛮族たちは「東夷」に入るのですが、「エミシ」たちは天皇を中心とした大和朝廷にとっての東の蛮族ということで、「夷」の字が使われ(ちなみに「夷」とは大きな弓を使う人々のことを意味するとか。文字も「大」と「弓」を合わせた字になってますし)、さらに蛮族の読み方は通例「~夷」と二字にするので、読みの音を加えて「蝦(エビの古名はエミ)」を足したことで「蝦夷」という漢字になったとか。
著者はこれは当時の中国と日本などの「東夷」の関係をスケールダウンさせて、
中国 ← 東夷
     日本 ← 蝦夷
として、「中国(皇帝)が素晴らしい(徳がある)から日本から遣唐使がやってきて朝貢する」という関係を「大和朝廷(天皇)が素晴らしいから蝦夷がやってきて朝貢する」という関係に比定して、自分たちの権威づけを行ったのでは、としています。当時、白村江の戦いの敗北、百済滅亡によって朝鮮半島での唯一の同盟国を失い足場をなくした大和朝廷が、自分たちの朝鮮への進出を正当化する必要があったからと推測しています。

なかなか興味深い話ですね。他にも征夷大将軍・坂上田村麻呂(阿弖流為と戦った人)の遠征の話などや、蝦夷の俘囚が強制移住させられたこと、交易の話、奥州藤原氏の系統についてなどの話がありました。

そして最後にまとめとして、「蝦夷」とされた人々は何人だったのか、という話になります。どうやら、昔から蝦夷は日本人かアイヌ人か、という論争があったようですが、この本では、両説を説明してアイヌ人説が有力だよ、と言ってはいるのですが、結論は微妙にぼかした玉虫色気味というか、「丸く収めよう」という感じの話をして終わっています。なにこれ。ここまでの話が面白かっただけにちょっとなー、という気が。まあ、いいけど。

それより、戦国時代にアイヌ系の人々が記録された話が面白かったです。九戸政実という戦国武将がいましたが、彼が豊臣政権に反抗して戦った時、豊臣方の武将・蒲生氏郷に下った九戸の兵士の中に、東北に住んでたアイヌ系の人がいたとか。
あと、江戸時代に、津軽藩や南部(盛岡)藩のような東北の諸藩でも、アイヌ系の人々が領内に住んでたらしいです。

他に面白かったのはアイヌ語系の地名についての話。
「~ペッ(ベッ)」→大きな川の意。漢字になると、登別、壮瞥、仁別、今別、苫米地、とか。また「~ベ」の可能性もあるので、~辺、~部、となることもあるかも。達曾部、袰部、長流部、乙部、女遊戸、とか。
「~ナイ」→小さな川の意。漢字だと、十腰内、平内、生保内、毛馬内、平内、とか。
この、「ペッ」と「ナイ」が地名として非常に多いらしい。

ちなみに、この前読んだ『エパタイ・ユカラ 愚か者の恋』での清音濁音の違いがないとかのアイヌ語の話は、この本からの流用。


参照サイト
柏書房 季刊 東北学
http://www.kashiwashobo.co.jp/new_web/find/tohoku.html
東北芸術工科大学 東北文化研究センター
http://www.tuad.ac.jp/tobunken/katsudo/s03.html
アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/
蝦夷地の記憶 −北海道の昔−
http://www.lib.hokudai.ac.jp/collection/hoppo/index.html


この記事へのコメント

>北ユーラシアとか
ますますロシア語は必須ですね!
Posted by 雪豹 at 2007年04月08日 08:31

こちらの本は未読なので詳細は判りませんが
個人的には蝦夷というと日本人的なイメージがありますけどねー。
アイヌ人が北海道に限らず
東北地域広域にまたがって生活圏を得ていた
…というのは興味深いですし事実なのでしょうけど。

蝦夷という言葉には「まつろわぬ人々」との意味があり
大和朝廷あるいは当時の権力者達にとって
反抗勢力という意味合いがあったと思います。
そして大多数のアイヌ人にとって
(私達がイメージするアイヌ人像ですね)
そういった支配構造はあまり意味のないものだったんじゃないかな…と。
ちょうど「倭寇」という言葉だけが一人歩きしてるのと
同じような感じではないでしょうか。

まつろわぬ人々の中には日本人もアイヌ人もいた。
そして時に反目し、時に協力しあいつつ
大規模な中央からの派遣軍に対抗した。
東北地方に広がるアイヌ人の王国
…というのがあったようななかったような?
「アラハバキ」とか縄文時代の文化…興味深いですしね。

私は現在、北海道在住だったりしますけど
北海道でアイヌ人が王国を開いていた…と聞いたことはなかったり。
せいぜいが有力な集落の族長というような感覚でしょうか。
北海道にいたアイヌ人と東北にいたアイヌ人が
同じような政治感覚を持っていたかは判りませんし
多分、違うのでしょうが
アイヌ人が固有の表記文字を持っていなかったことが
いろんな意味で歴史研究の足枷になっていますよね。

もし蝦夷という言葉がアイヌ人にあてはまるのであれば
その受け皿となるべき母体が東北地方にあったのではないかと考えます。
坂上田村麻呂なんかの記述を見ると判るように
あれ…とんでもなく大規模な遠征軍ですよね。
半分、出来レースみたいなものだとしても。

北海道に広がるアイヌ文化と
東北にあったとされるアイヌの国で
同じような生活習慣や文化的な
繋がりがあったのか良く判りませんし…ねぇ?
当時の気候条件なども調べないとあれですけど…。

当時、大和朝廷の支配外にあった地域の実情を
(そこにはアイヌ人の集落や当然、日本人の集落もあった)
中央に報告するために「蝦夷」という言葉を作り上げて
野蛮で怖ろしいもの…と宣伝したというのが
私がこの問題について感じるイメージだったり。

それは中央の支配なんぞに縛られず
好き勝手にやるための方便という意味合いも多く
実際はなぁなぁで租税もろくに払わず
当時の国造と蝦夷の諸軍勢の長達の間には
ずぶずぶの談合があったと思ったりして。

長くてすいませんー。
Posted by のあなな at 2007年04月08日 08:58

(ここに蒸しぱんさんの面白い話がありました。しかも長い! さすがです。もったいないけど一応消しときました)

Posted by 蒸しぱん at 2007年04月08日 17:23

蒸しパンさん、詳しい説明がさすがです。
なるほどー…まさに「蝦夷」という言葉の
中身が時代と共に変換しているんですね。

>>この南北間の緊張の高まりが10世紀後半から11世紀にかけて
>>北緯40度以北の地域に防御性集落を数多く生み出したと考えられています。
ここらへんは私の勉強不足ですね。
とても興味深いです。

アイヌの伝承については私もいくつか読んだことがありますが
ものすごーく大ざっぱなことを言うのであれば
邪馬台国はあっても大和朝廷はなかった…という印象があります。
その文化的な背景なのか地域の実情なのか判りませんが
「王権」という絶対的な対象を持ち得なかった。

シャクシャインの例にあるように
たとえ時代が違っていても
数万人規模で反乱を起こせたのですから
本当は似たような概念があったのかも知れませんけど。
Posted by のあなな at 2007年04月08日 19:32

数万人規模というのは明らかな誇張で事実誤認みたいですねw
詳しい人数は wiki とかでは判りませんけど
その当時の北海道にそんな大軍を動かせる勢力はないようで。(苦笑

>>15世紀頃から交易や和人あるいはアイヌ民族同士の抗争などから
>>地域が文化的・政治的に統合され17世紀には和人(本州系日本人)から
>>惣大将と呼ばれる河川を中心とする複数の狩猟・漁労場所などの
>>領域を含む広い地域を政治的に統合する有力首長が現れていた。

…と wiki にはあったりしますが
それ以前はバラバラだったんでしょうか?
まだまだ謎は多そうですね。
Posted by のあなな at 2007年04月08日 23:05

とりあえず、面白いので読んでみたらどうでしょう。

>ロシア語は必須
ううう。す、少しずつ頑張ります。

>意外なほど多くの渡来系集団
面白いですね~。これは強制移住とかじゃなく、自ら進んで行ったということですよね? 諸勢力がすでに支配を確立している西日本には居場所がなかったとか? それとも純粋に技術者集団として必要とされて行ったんでしょうかね。
そういえば、関東にも「羊」という名前のイラン系らしき渡来人が来る話を『宗像教授伝奇考』でネタに使ってました。

>坂上田村麻呂自身渡来系貴族ですしね。
あれ? そうだったんですか。昔読んだ漫画で、坂上田村麻呂が、子供の頃に東北に住んでいて、戦乱で兄と離ればなれになる、という話がありました。で、その兄がのちに阿弖流為になるというやつ。読切りで確か角川系の雑誌(コミックGENKIとかか?)。

>「近世日本と北方社会」
チェックしてみます~。あと、北海道のアイヌについて講談社選書メチエにいいのがあるらしいのでそれも見てみます。

>数万人規模
たしか、アイヌの総人口はとても少なかったらしいですよ。
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年04月08日 23:53

(また、蒸しぱんさんの面白い話)
Posted by 蒸しぱん at 2007年04月09日 01:47

>坂上田村麻呂
有名人のわりにあまり知らなかった人でした。

>10万人から15万
ピーク時でそれですか~。相当に少ないですね。あれだけ大きな土地でもそんなもの。ましてやシベリアともなると人口密度が凄いことになりそうですね。
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年04月10日 07:52

(ここには                    します)
Posted by ○○○○

漫画はなかなか奥が深いのですが、現在読んでないとなると、なかなか見るきっかけもないかと思いますが、とりあえず何か少しでも興味を引かれたものがあったなら、まずそれから手にとってみるといいかもしれません。雑誌ならいろいろなタイプのものをチェックできるし、単行本なら話のはじめからしっかり読めますし。久々に読んでみてはいかがでしょう。
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年04月19日 06:28

(蒸しぱんさんの書き込みがありました)
Posted by 蒸しぱん at 2007年04月19日 22:27

>トナカイ
「ラッコ」もアイヌ語でしたっけ?
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年04月20日 03:12

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