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近代ロシアの重要な聖人のひとりサーロフの聖セラフィムの本。『ロシア正教会と聖セラフィム』という
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2006年04月26日
近代ロシアの重要な聖人のひとりサーロフの聖セラフィムの本。『ロシア正教会と聖セラフィム』

最近、テンション上げるためにロシアの本ばかり読んでます。
昨日読み終わったのが『ロシア正教会と聖セラフィム』。

ロシア正教会と聖セラフィム


『ロシア正教会と聖セラフィム』
(及川信。サンパウロ。2002年。1600円)

聖セラフィムは1759年生まれでクルスク出身。成年してからサーロフ修道院に入門し、見習い修道士になり、1786年から正式に修道士となります。以後、森の中の庵で修練をつみ、修道生活を続けます。1804年、近隣の農民に暴行を受け、重傷を受けるも回復すると再び修道生活に。1810年からはサーロフ修道院で生活し、1833年に死亡するまで多くの人を教導することになります。

近代ロシアでは重要な霊的指導者が三人いて、パイーシー・ヴェリチコフスキーとザドンスクのティーホンと、このサーロフのセラフィムがそうです。
描かれる時は腰のまがった人物(強盗の襲撃で体を壊した)としてや、熊にパンを与えている姿(そういう逸話がある)で描かれるようです。

この人、修道僧になったあと、森に入って独りで生活するんですが、自分の住んでる庵の周りを、聖書からの地名を借用してます。
「師父はこの地を、聖山アトスと呼び、小屋の周囲に、イスラエルの地名をつけました。ナザレでは生神女マリヤのために祈り、ゴルゴタでは六時課と九時課を唱えました。」(『ロシア正教会と聖セラフィム』P32より抜粋。)
なんか、ノーヴィエルサリムみたいな。流行ってたのか?

で、生きてる間から尊敬を集めていた人物なので、死体は当然サーロフ修道院に収められていたんですが、ソ連時代になるとサーロフ修道院は閉鎖され、遺体はモスクワのドン修道院(?。ドンスコイ修道院?)に行き、そこから「中央反宗教博物館」(そういうのがあったらしい)に移されたそうです。
それがソ連崩壊後に「宗教と無神論博物館」というところで見つかります。すでにサーロフ修道院は無くなってたので、セラフィムと関連の深いディエーエヴォ女子修道院に安置されることになったとか。
このディエーエヴォ女子修道院にセラフィムの不朽体を見に行った時のことを、川又一英先生がこの本に書いています。

サンパウロ(出版社)
http://www.sanpaolo.or.jp/info/information.htm

この出版社は聖パウロ修道会という組織の事業団体です。

聖パウロ修道会
http://www.sanpaolo.or.jp/paolo/osirase.htm

1917年にイタリア人アルベリオーネがはじめた団体だそうです。


>セラフィム(サーロフの)
1759年7月19日〜1833年1月2日
ロシア正教会の聖人。近世における最も著名な「長老(スターレツ)」すなわち霊的師父。本名プローホル・モシュニーン。大工(または商人)の子として、クールスクに生まれる。19歳でサーロフ修道院に入り、セラフィームの修道名を取る。
(中略)
25年になって、彼はようやく門戸を開放して、その後死に至るまでの8年間は、全ロシアからの訪問者たちを慰め励まし続けた。
(中略)
セラフィムは、ロシア正教会の「ヘシュカスム(静寂主義)」の代表者であり、その霊的感化力の大きさゆえに、民衆から「長老」として仰がれた。現今もロシアのいたるところに、そのイコンが見られる。
(『キリスト教人名辞典』P817より抜粋。)

Posted by 管理人・馬頭 at 02:41 |Comments(0) |TrackBack(0) | ロシア・CIS , 歴史 , 本

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by xwablog | 2006-04-26 03:58 | 書庫
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