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トナカイ王ヴィノクーロフの生涯。ヴィシネフスキー『トナカイ王 北方先住民のサハリン史』
「観光庁」創設へ=冬柴国交相
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2007082201117
なんだろう、このいまさら感は。

それはともかく。
この本、去年の神保町の古本祭りの時に買ったんですよね。やっと読んだ。

トナカイ王


『トナカイ王 北方先住民のサハリン史』

(ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ヴィシネフスキー。成文社。2006年。2000円)
第一部 トナカイ王
プロローグ/ヤクーチア/東京/北サハリン/パルカタ村/北樺太/最後の住民大会/ソビエト・サハリン/ホイ/アレクサンドロフスク/アンドレイ同志/逃亡/東京/ハバロフスク/クレイノヴィチ/シスカ(敷香)/オタスの杜 樺太の観光メッカ/ハルビン/カレーエフ/満洲/ヌィヴォ/モスクワ/極東のアーリア人/贈り物/特使 島谷榮次郎/経済恐慌/電報/東京/頭山/友人たち、そして・・・/可能性/同胞たちへの手紙/オタス/満洲国/急ぎすぎた文明化が招いた悪夢/再び東京にて/笠原/荒木/モスクワ/策動/先住民からの手紙/肯定と否定と/あせり/林/さまざまな会見/豊原/オタス/アノ/トナカイ王/女王/北緯五〇度/恐怖/閉ざされた境遇/ドレコフ旅団長の最後の仕事/ヴィノクーロフの誤算/逮捕/破綻/監獄/ヴィノクーロフの死/ヴァルヴァーラ/アナスタシーア/それぞれの運命
サハリン サハ 時空を超えた旅
三六〇年前のこと/聖なる谷間の地/昔のヤクーツク市/気候/ヤクート人/交通/定期市ヤルモンカ/ヴィノクーロフ家の歴史/ドミートリー/ミハイルとニコライ/ニコライの息子エゴール/ミハイル・ミハイロヴィチ/ヤクーチアと日本/運命の年/エピローグに代えて
第二部 オタス
ウイルタとアイヌの戦い/アイヌ民族/その他の先住民/オタスの学校/シャーマンたち/シャーマンはどのようにカジョーを治したか/フリアツィ(熊祭り)/オタス出身のアイヌ/最後のシャーマン/函館/志願兵部隊/もし明日戦争が起こったら/敷香/ニブフの少女マヤーク/引き揚げ/川村先生/敷香の死/死と苦悩へ向かって/ボロドの悲劇/ゲンダーヌ/「国籍はありません」/オタスの終わり/結びに

ヤクート人(現在はロシア連邦のサハ共和国となっている地域に住んでいた人々)なのにヤクーチアから石油産業に関わるつもりで北サハリンに移住して、その後ソヴィエトが樹立されると南サハリンへ移り(というか逃げてきて)、トナカイなどで成功をおさめつつもサハリン独立のために活動した面白い人物ドミトリー・ヴィノクーロフの生涯を通じ、20世紀前半におけるサハリンの歴史を見ることができる本。ここらへんの知識は、ほとんど知らないことばかりでしたが、かなり楽しめました。ソ連では「ヤミ商人、密猟者、日本のスパイの代表」として知られていた人物です。
ソヴィエトが出来て、いろいろヤバいことになってしまったこのヴィノクーロフという人物は、サハリンに渡り、トナカイ遊牧に従事しつつ、徐々に頭角を現します。そしてトィミ川の近くに自分の村パルカタという村を開いて住むようになりました。しかし、1925年に北樺太から日本軍が撤退していくと、国境近くに住んだりし、さらに1926年になると合同国家政治保安部によって逮捕され、アレクサンドロフスク・サハリンスキー(日本名・亜港)に連れてかれます。この時、サハリンで対日パルチザン部隊を組織しようとしていた沿海州の反革命取締非常委員会の責任者シシリャーンニコフからの要請(というか拒否はできない)で、サハリンにおけるソ連の諜報機関の一員となるように言われ、承諾して解放されます。このことがあり、ヴィノクーロフは1926年末に南サハリンへ逃げることになります。こうして彼は日本と深い関係を持つことになりました。まだ南サハリン(南樺太)を日本が有していた時代のことです。
非常にユニークで、自意識過剰で賢く、ケチで抜け目無く、人間としてはどうだかという感じの人なんですが、その人生の歴史との連動が興味深い。彼は南サハリンの重要都市・敷香(シスカ)の近くにあるオタス村に住みますが、このオタス村は、当時における北方民族文化村的なテーマパークのような感じの観光地になっていました。ここにはニブフ人とウイルタ人が住んでいましたが、ニブフ人の集落の方にヴィノクーロフの家があり、ここでも彼は徐々に中心的な人物となっていくのです。彼は日本の極東・シベリア進出を積極的に語り、人々(観光しに来た人たち)にその有用性を説いていました。ヤクーチア独立もすべきだと言っているし、そうしたことを日本の重要人物たちに語る必要があるとも考えていました。彼は東京にも三回訪問してるし(日本の新聞は彼の名前を「上野九郎夫」と書いてる!)、東郷平八郎とか頭山満、縣忍、松田源治、多門二郎、高須四郎、林銑十郎、杉山元、など著名人にも会ってる。当時の北方政策がいろいろ見れていいいです(しかし、日本人のほとんどが、対ソ連戦に対して「時期じゃない」と言ってる)。そもそも、この本の話の中心がヤクート人でサハリン在住という人物なので、その視点が面白いですよ。
書いた人はロシア人ですが、日本関連の話が多くて、ロシア人よりむしろ日本人の方が読める、と書いてありましたが、確かにそんな感じ。

これ、ヴィノクーロフのことだけじゃなく、ヤクーチアやサハリンの風俗とかも少し載ってます。シャーマンについての話などもありますが、これがまた面白い。あと、レナ川にまで到達したコサックたちのことも。1628年、ヴァシーリー・ブゴールというコサック隊長率いる部隊が、レナ川を「発見」します。また、1632年に、エニセイコサックのピョートル・ベケトフ中尉が、レナ要塞を建設しました。彼のモスクワへの報告がここに載っています。
「9月25日に大公ミハイル・フョードロヴィチ陛下の命により自分が配下の兵と共にこの僻遠の地レナ河岸に皇帝陛下のために、陛下のためのヤサーク税徴収を行い、ヤクート人たちがここへ来るように要塞を築きました。つまりヤクーツクのムィミコフ侯の所領に対抗してこの私、ペトルーシカが陛下の新しい要塞を構築したのです」(抜粋)
興味深いのは、はじめにミハイル・ロマノフに対して、「大公」って呼んでることかな。その後ちゃんと「皇帝」って言っているのに。あと、「ムィミコフ侯」って誰だ?

「ロシア人の出現に対してヤクート人たちは独特な受け取り方をした。もじゃもじゃの髪と髭をたくわえ、遠い距離から姿を見せずに人を死に至らしめる武器を持ったロシア人たちは、ヤクート人には森に棲む妖精のように思われた。だからヤクート人は(エヴェンク人もそうだったように)ロシア人を『ヌウチャ』すなわちレーシ(森の精)とあだ名をつけたのである」(抜粋)
これは面白い記述ですね。ロシア人たちがヤクート人たちと接しはじめた頃のことでしょうが当時の感覚では、こんな感じだったのでしょう。

この本の中で、第二次世界大戦中に南サハリンの先住民系の人で、特殊部隊・トナカイ部隊を作ったという話も面白かった。それによると、ソ連が侵攻してきたときや、日本軍が極東に進出した時、ガソリンすら凍る寒さの中で戦えるように、そうした部隊が必要だと考えていたとか。

ヴィノクーロフは、日本の新聞に自分の意見を述べた「憐れなる北方民族よりの意見書」というのを載せていますが、その内容の中に、反ユダヤ的なことが書いてあって面白い。ユダヤ陰謀論てのは、亡命したヤクート人であっても無縁ではなく、それが日本人に対して有効であると思ってたわけだ。

当時、このソ連と国境を接していた唯一の場所であるサハリンにおいて、日本からの亡命者がいたことも書いてありますが、書いてある人のほとんどはスパイとして処罰されてますね。だいたいシベリアで刑務中に死んでるし。なんていうか、緊張した状況においてその敵対国に亡命するってのはほとんど無謀というかなんというか。希望が絶望に変わる時はどんな気持ちだったんでしょうね。この亡命した時の判断やその後の心理状態は面白い。岡田嘉子についても言及してあります(相方は処刑されてしまったという)。

ヴィノクーロフは悪運が強いというか、根回しがよかったというか、牧夫たちに裏切られ(というか牧夫たちを虐待しすぎて人望がなかった)、ソ連側に連れてかれて捕らえられた時、上手いこと口先だけで乗り切ってますし(ドレコフってやつは間抜けだ)、その後、その事件が元で1938年に日本側にも逮捕されたものの、その後1940年に釈放されてます。
その後、体を壊したヴィノクーロフは1942年四月に死亡とのこと。なんか最後処刑されるのかと思ってたので、ちょっと驚いた。

彼、小磯国昭にも会ってますし、親王にもあってるな。


公式サイト
トナカイ王
http://www.seibunsha.net/books/ISBN4-915730-52-2.htm

関連記事
平凡社『世界の民族14 シベリア・モンゴル』。北ユーラシアの諸民族を紹介した一冊。
http://xwablog.exblog.jp/7160877


ヴァルヴァラという人名は、ギリシア語では「異邦人」の意。
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by xwablog | 2007-08-23 05:10 | 書庫
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