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聖職者を任命する権利を巡って起こる多様かつ大規模な争い。オーギュスタン・フリシュ『叙任権闘争』
今回、夏に出す同人誌を作るにあたって、イジャスラフ1世関連でこの本をとうとう読んだ。
というか、今まで読んでなかったんか、と呆れてしまうくらい重要でした。

叙任権闘争オーギュスタン・フリシュ


『叙任権闘争』

(オーギュスタン・フリシュ。訳/野口洋二。創文社。創文社歴史学叢書。1972年。900円)
第1章 教会法的伝統と俗人による纂奪
第2章 教会の反撃
第3章 グレゴリウスの法規
第4章 世俗諸君主の反対
第5章 グレゴリウス七世時代の叙任権をめぐる議論と論争
第6章 ウルバヌス二世の教皇在位期(1088-1099年)
第7章 12世紀初頭のイギリスとフランスの叙任権闘争
第8章 ドイツの叙任権闘争 1111年の危機
第9章 ウォルムスの協約
第10章 教会の解放
参考文献
訳注
訳者あとがき
索引

11世紀のヨーロッパ。当時、キリスト教の聖職者たちは、地方の世俗の権力者によって選ばれ、その地位に就いていました。しかし、これは教会にとって、あまり良いことではありませんでした。そもそも聖職者を叙任する権利は教会の側にあったはずなのですが、それが侵害されていたのです。これによって、教会、そして地方の聖職者たちは、どんどん腐敗・堕落していってしまいます。
教会や修道院には、付属の領地など、たくさんの財産を持っていましたし、その影響力は非常に大きかったのです。それを自由に出来るわけですから、誰もがこの職に就きたがるわけです。
地方の領主たちは、自分たちで作ったり援助した教会やら修道院やらに、他人を入れてみすみすこれを手放すなんてのは勿体ないと考え、これに自分が選んだ人物、親族などを任命して管理させることになります。もちろん、本当は教会が決めるべきものという建前ではありましたが、教会の力はまだ弱く、そもそも、教皇さえも世俗君主によって後押しされその地位についた時代があったのです。
こうした聖職者としての地位は、非常に価値があったので、お金で手に入れようという人も当然いて、聖職売買、いわゆる「シモニア」が横行します。さらに、そうなるとキリスト教徒として適性に問題のある人物がそうした地位についたり、もとよりキリスト教の教えを守ろうという気の薄い人がなったりもします。そして、彼らは贅沢をしたり、なんと妻や妾をもったりしてしまったのです。妻帯・畜妾のことを「ニコライズム」といいますが、シモニアとニコライズムがはびこり、高位聖職者たちからして堕落しているといったような状況は、長い間続きました。
しかし、これではいけない、なんとかしないと、と思った人たちがいました。クリュニー修道院などで集まった強い教会意識を持った人々です。こうして起こった教会改革運動は、徐々に大きな力をつけてきて、ついには教皇やその周辺に人材を送り出すことになります。
キリスト教の改革のため、なんとしても聖職叙任権を世俗君主たちから取り戻したい教皇は、世俗君主たちに対して抵抗を試みますが、その最大の敵となったのが、神聖ローマ帝国の皇帝でした。教皇VS皇帝の戦いは、あらゆる人々を巻き込んで巨大な国際的な闘争へと発展していくのです。かなり単純化した説明ですが、これが叙任権闘争です。
この叙任権闘争を解説した本が、この『叙任権闘争』です。
まあ、これの訳者あとがきのとこでも書いてありますが、このフリシュ氏という人は、この闘争を任命方法の争いという点に重点を置いて(限定して)考えていたみたいですが、ドイツではより大きなスケール・連動した動きとして見るのが一般的なようです。フリシュ氏は南仏モンペリエ生まれで、モンペリエ大学の教授になった中世史・教会史の専門家だったので、仏英などで一般的だった見方で見たそうです。それでも、その闘争の様子を書いたこの本はそうとうに見応えがありました。

「しかもそのさい、著者は表面上の諸事件の背後にある、あるいはそれらに先行する理念的対立(教会法的・教義的概念の対立)を特に重視し、この闘争の本質が法律上の論争にあったことを指摘しつつ、これと現実の政治的・軍事的諸事件とを相互に関連させながらこの闘争の展開を明らかにするという方法をとっている。」(訳者あとがきから抜粋)

教会側と世俗君主側の対立や妥協、せめぎ合い、いがみ合い、出し抜こうとする様が非常にワクワクし、楽しくてたまりませんでした。崇高な理想と愚にもつかないような利権争い、宗教的な必要性と政治的な必然性、最高の知性と最大の暴力が混然一体となって同居してて、目もくらむような入れ替わり立ち替わりの大騒動となってます。
中世ドイツ史の一番面白いところでもあり、当時のヨーロッパ全体を巻き込むスケールの大きさも持ってます。

この叙任権闘争の見せ場のひとつが有名な「カノッサの屈辱」という事件で、教皇グレゴリウス7世から破門された皇帝ハインリヒ4世が、冬のアルプスを越え、雪の中、カノッサの城の門の前で許しを乞うということがありました(ハインリヒ4世の劇的な生い立ち、この場面での判断力や行動力とか、もう凄いカッコイイのですよ!)。
結局、ハインリヒ4世は許され、その後挽回して、逆に教皇たちを追いやることになります。
ここにまで至る流れのスリルある展開や、駆け引きを見てるだけでも面白いのですが、許しを得てさらに最終的には勝利する皇帝が、実は歴史的な観点から見て敗北しているということが我々には分かってしまったりすると、もうたまらない気持ちになります。まさに歴史の転換点を見る思いです。いや、ほんとグレゴリウス7世って凄いです。
その時歴史が動いた』的な1077年。この本は、むちゃくちゃ楽しめましたよ。

で、この叙任権闘争に、ロシアがどう関わって来るのかというと、ポーランドとかボヘミアの情勢にこの闘争が関わっていて、それに影響されることがあったからです。さらには、キエフ大公イジャスラフ1世は、大公位を追われ、ポーランドに亡命し、復位のためにハインリヒ4世やグレゴリウス7世に協力を求めることになるのです。イジャスラフ1世はハインリヒ4世に直接会ってますし、その息子のヤロポルクはローマまで行ってます。
ちなみに、この『叙任権闘争』の中では、イジャスラフ1世は、「ロシア王ドミトリイ」となってます(一回しか出てきませんが)。イジャスラフ1世は、洗礼名がドミトリーなんですよね。たしか、ヤロポルクはペトルだったかな?
まあ、同人誌『キエフ公国史2』の方では、ここらへんのことを上手いこと書けなかったですが、なんとか紹介はできてるはず。間違いや勘違いがあって書いてたら恥ですが・・・

あと、イジャスラフ1世とかは出てきませんが、こっちも多少なり読みました。実はまだウォルムス協約のところまで行ってない。

中世の国家と教会 カノッサからウォルムスへ 1077〜1122


『中世の国家と教会 カノッサからウォルムスへ 1077〜1122』

(エルンスト・ヴェルナー。訳/瀬原義生。未來社>未来社。1991年。3605円)
第1章 11世紀中頃のドイツ帝国
第2章 自由と支配、都市と農村、諸侯と国王、教会と世俗世界
第3章 カノッサへの道
第4章 王国と教会の闘争における政治とイデオロギー
第5章 民衆と改革教会
第6章 放棄することなき王位喪失
第7章 約束された土地への出発
第8章 変化せる国家形態の勝利

登場人物についてあまりにも情報が無いので、これも読んで補足してかないといけなかった。合わせても、たいした情報量にならなかったけど、まあ、無いよりかはマシだったかも。
こちらはより当時の政治・社会状況とかが分かってよかったです。これとあと、『世界歴史大系 ドイツ史1』とかも読んで情報を補いつつ、なんとか一部だけでも理解しようと努めました。


参照サイト
創文社
http://www.sobunsha.co.jp/
未来社
http://www.miraisha.co.jp/
カノッサの屈辱(wiki)

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