人気ブログランキング | 話題のタグを見る
  デジタル・クワルナフ
  管理人・馬頭(xwablog)。トップページのアドレスはhttp://www.toride.com/~digxwa/
トップ
ハンティ族(Khanti。Khanty。ハンチ。ハンティ人)_クワルナフ用語辞典
ハンティ族(Khanti。Khanty。ハンチ。ハンティ人)

西シベリアにあるオビ川流域とイルティシ川東岸側に住むウラル語族系の民族。かつてはハンティ族の西方に多く住むマンシ族とともに「オブスキー・ウゴル」と総称され、ハンティ族は「オスチャク(Ostyak。大河の民の意のハンティ語に由来)」として知られていました。彼らの話すハンティ語は、マンシ族のマンシ語と一緒にオビ・ウゴル諸語に分類され、今では遠く離れてしまっていますが、ハンガリー人の話すハンガリー語とも類縁関係にある言語で、ハンティ語、マンシ語、ハンガリー語を合わせてウラル語派をなします。シベリアのフィン・ウゴル語族は、ハンティとマンシだけです。ハンティ族とマンシ族はもともとは同じ民族でしたが、その後鉄器時代以降と思われる時代に分かれ、それぞれ独自の文化を持つようになりました。ハンティ・マンシの両族は、紀元後1000年頃に東ロシアと西シベリアのステップ地帯から、東方・北方へと移動をはじめました。もともとは騎馬文化を持っていたようですが、厳しい自然が支配するシベリアにおいては使用に適さないため、先住民の生活を導入するようになりました。10世紀ころには北ルーシに居住するロシア人との接触をはじめ、11世紀までにはノヴゴロド市からやってくる商人との定期的な交易を行っていました。その後モンゴル帝国の拡大にともない服属し、西シベリア汗国の中に含まれるようになりました。その後、ロシアによるシベリア征服によって、その支配を受けるようになりましたが、搾取のための苛酷な統治は人口を減らさせ、彼らの文化を破壊・衰弱させました。
現在の人口は22283人(2004年)。このうち52.8パーセントがハンティ・マンシ自治管区に住みます。残りの多くはヤマロ・ネネツ自治管区に居住。ハンティ語は言語的に、東南北のみっつの方言群に分類されます。南方方言群の集団は、タタールの到来以後、定住生活を導入し文化的影響を受け、18世紀にロシア人の植民が活発になると人口が激減しました。北方方言群の集団はネネツ族のツンドラ・ネネツからの影響を受け、ネネツ化が進みました。マンシ族とも雑居が行われその影響も受けることになり、こうして文化的に多様な諸集団が形成されましたが、フィン・ウゴル学者の研究により、これら諸集団は「ハンティ族」との分類がなされ、その後ソ連の政策によって彼らの名前を冠する行政区分を設置したことで、ハンティ族はその民族として維持されることになります。ソ連時代の行政区分は、1930年に設置された「オスチャク・ヴォグル民族管区」、1940年に「ハンティ・マンシ民族管区」、1977年に「ハンティ・マンシ自治管区」と改称をして、1993年にはロシア共和国のチュメニ州の所属から離脱して、ロシア連邦直属の自治管区となりました。
かつての生活様式は狩猟・漁猟・トナカイ飼育のみっつが基本で、農業は行わず、森林などからの採集によって木の実、樹液(カバの木の樹液を飲用に採る)などを集めていました。
ハンティ族とマンシ族の信じるシャーマニズムの信仰では、たくさんの神々と精霊がいて、生贄などの儀式を行う祭事場にはトーテムの像や神像を安置し、シャーマンを通じて交信しました。ハンティ族では男には五つの魂、女には四つの魂があると考えられています。熊は四つの魂を持った存在で尊崇の対象でした。ハンティ族は死者を恐れ、死後もその霊が生者の魂を捕まえようとする、と考えています。墓はネネツ族と同様の形式。
基本的に父系社会で、同一の系族(リニージ)内での結婚は出来ません。試罪法で争いを解決しました。
「ハンティ(khanty)」は「khanti」の複数形。

(参考文献・『ロシアを知る事典』P608、『世界の民族 シベリア・モンゴル』P50、)
(05/09/15作成、)
by xwablog | 2007-07-21 18:46 | 用語辞典
<< ツンドラ(tundra)_クワ... ンガア神(死と冥府の神)_クワ... >>