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江戸時代の情報のあり方についての本。市村佑一『江戸の情報力』と岩下哲典『江戸の海外情報ネットワーク』
20070414

春ですね~。
でも、微妙な気温だからか、なんか体調悪かったり。頭が痛かったのですが、頭蓋骨と頭皮のスキマが痛いみたいな痛みが来てビビッた。

それはともかく。
最近読む本、戦国・江戸時代ものの日本の本が多いな~。

江戸の情報力_市村佑一

『江戸の情報力 ウェブ化と知の流通』

(市村佑一。講談社。講談社選書メチエ290。2004年。1500円)
第1章・「公」の情報ネットワーク-------情報の創出と管理
第2章・「私」の情報ネットワーク----------「公的情報」を補う
第3章・情報のウエッブ化-----------新しい情報発信と全国展開
第4章・日本的情報伝達の手法----------ウエッブ展開を促したもの
第5章・「知」のインフラを創る-------情報のストックと組織力

江戸時代における情報流通の状況についての本。
江戸時代、幕府の組織が「上意下達」で縦割りに情報を伝えることにはなったが、さらに各人がそれぞれに繋がりを持つ趣味の世界、例えば漢詩を趣味とする人達の仲間内での情報のやり取り、蘭学や博物学、本草学、医学といったことについての仲間、「~社」「~連」「~講」というような横のつながりを持つ団体がそうした情報流通に大きな役割を持っていた、とかそういう話。なかなか興味深い話がたくさんありました。

高札が庶民に対する情報通達手段として活用されていたらしいですが、庶民に対する教育的道徳的指導の提示にはこういった手段もあったということ。
また富山の薬売りは薬の行商人として有名ですが、彼らの持って来る情報が藩内に広まるのを警戒した場合があったらしい。特に鹿児島の薩摩藩は浄土真宗が豊臣秀吉の九州遠征に協力したことがあり嫌っているので(信仰そのものが禁止されていた)、浄土真宗が非常に盛んな富山の薬売りがやってきて、領民に浄土真宗の話をすることを禁止する取り決めなどをしています。
江戸時代の貸本屋は行商のように担いで回るタイプの人もいた。絵画もの、絵付きの紀行ものや、歌舞伎の台本とかそういったものが人気があったとか。
料理本については、当初庶民的なものは少なかったけど、のちに各地との商業取引が活発になった時に、各地の名産・名物を扱った本が出てくるようになる。
又、当時の旅行案内本は現代的なレベルといってもいいほど充実した内容だった。特に内容は喧嘩・盗みといった危機管理に関してが中心だった。
鍬形惠斎(くわがたけいさい)の浮世絵は俯瞰ショットの鳥瞰図が凄い。富士山を背景に江戸全体を見渡す、高度1万メートルからの想像図。
幕府は情報を独占し統制しようとしていたが、それでも横のつながりで漏れて来る。
著作権に関しての初期的な制度がすでにある。本を勝手に同じものを刷られると困るので、同業者同士の繋がりを持ち、本を出す時は公儀側にも届け出をするようにしてその権利を保護してもらっていた。

感想がまとまんないので(いつものことだが)ほぼ箇条書き。


これと一緒に読んだのが、江戸時代に入ってきた海外の情報について扱った本。



江戸の海外情報ネットワーク_岩下哲典

『江戸の海外情報ネットワーク』

(岩下哲典。吉川弘文館。歴史文化ライブラリー207。2006年。1700円)
情報の役割---プロローグ
海外情報の収集・発信の地 長崎と横浜
長崎口と「長崎土産版画」
ペリー来航と開港場横浜
異国情報と江戸社会
ベトナム象が江戸に来た
ナポレオン情報と日本人
緊迫する海外情報と国内政治
アヘン戦争情報を捕捉せよ 幕府内部の情報ネット
アヘン戦争の情報と危機感
幕末の異国船来航と情報分析
ペリー来航と「砲艦外交」
ロシア軍艦対馬占拠事件の情報と攘夷運動
情報と幕府の崩壊-----エピローグ

1729年、八代将軍吉宗がベトナムから連れてこられた象を献上された。三年前に中国人の商人からの提案を受け、OKを出して連れて来させた。はじめオスメスの二頭がやってきたが、メスの方は長崎の人々がいろんなものを食べさせたせいで死亡。オスの方は無事江戸まで到着。その後江戸のある人物に下げ渡され、見せ物として使われたらしい。ちなみに吉宗はオランダからアラビア馬も輸入している。ヨンスチンの『動物図説』も持っていてよく見ていたとか。
この象の来日以後、絵画などに描かれる象がリアルになったとか。
ちなみに日本にはじめて象がやってきたのは1408年、足利義持に献上された象が初めてらしい。これはスマトラ島の有力華僑の亜烈進が献上した黒象。当時、スマトラ島と繋がりがあったという点からして凄いですね。その後、戦国時代にも大友宗麟にカンボジア象が、家康や秀吉もそれぞれ象が献上されてますね。秀吉の時はサン・フェリペ号事件とのからみでスペインから貰ったらしい。家康のはベトナム象。関ヶ原後に東南アジア諸国に友好の書簡を送ったそのお返しみたい。
江戸時代、見れたのは少数の人ですが、ブラウの『大地図帖』も入ってたし、どうやら『レパント戦闘図』というのもあったらしい。それをもとに屏風も作られてたみたい。海外の本とかが意外と日本にきてたみたいですね。

1800年あたりでナポレオンがヨーロッパを席巻したことでその影響が日本にも伝わることになります。オランダは自国が占領されてしまったので、そのことを隠し通します。江戸幕府がキリスト教の特にカトリックを警戒していたため新教国のオランダが貿易を許されていたのですが、カトリックのフランスによって占領されたとなると貿易が停止されかねないということで黙ってたわけです。ナポレオンについてはその頃捕まったロシア人ゴロヴニンの部下でムールという人物からの情報ではじめて知られるようになります。
このムールという人物がなかなか面白い人で、蝦夷で捕まって獄中に入れられるんですが、絵心があって通訳として日本語を覚えていき、最後には日本に帰化したい、とまで言いだします。まあ、最後はゴロヴニンたちと一緒に帰国させられるのですが。
ロシア海軍が対馬の一部を占拠したポサドニック事件についても書いてありますが、ここらへんの事情は初めて知りました。
ゴロヴニンと高田屋嘉兵衛の交換以後、日露関係は良好だったのですが、この事件に対してもそれほど悪い印象が広まるというものではなかったようです。むしろペリー来航の時のアメリカとかの対応などにおける米国への不信感のほうが強かったみたい。またポサドニック号事件そのものの原因となった英国の進出もあって、ロシアの方が心証が良かったそうです。日露同盟によって英国に対抗するという手もかなり可能性としてはあったらしい。


参照サイト
江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

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この記事へのコメント

これはかなり面白そうな本ですねぇ~
ウェブとかウェッブとか、はやり言葉っぽいものをわざわざ使わんでもということもありスルーしてましたがこれは読むべきでした・・・orz
Posted by 蒸しぱん at 2007年04月14日 23:03

>ウェブ化と知の流通
「ウェブ(ウエッブ)」という言葉の使い方にはちょっとどうかなという点があります。でも内容については、個々の事例がとても面白いのでちょっと見るくらいだとしても楽しめますよ。
話のまとめとかに関してはそれほどうまく提示できてるものがあるわけじゃない感じでした。
『江戸の海外情報ネットワーク』の方も個々の事件とかはとても興味深い話ばかりです。
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年04月15日 00:51


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by xwablog | 2007-04-14 01:43 | 書庫
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