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イエズス会士の見た戦国時代の日本の姿をヨーロッパと比較。ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』
ここ何日か担々麺のインスタントラーメンしか食べてなかったので、今日は納豆ご飯にしました。腐った豆なのになんでこんなに美味しいんだろう。

それはともかく。
この前から探していたヘロドトスの『歴史』がやっと奥にしまった段ボールから出てきて、なんとかなったのですが、その時、この『ヨーロッパ文化と日本文化』も見つけました。読んだと思ってましたが、一部を読んだだけだったのに気づいたので、読み直しました。これが非常に面白い! (『歴史』はまた別の機会に一度記事にします。)

ヨーロッパ文化と日本文化_ルイス・フロイス

『ヨーロッパ文化と日本文化』

(ルイス・フロイス。訳/岡田章雄。岩波書店。岩波文庫_青_459-1。1991年。410円。印刷/理想社)
第1章・男性の風貌と衣服に関すること
第2章・女性とその風貌、風習について
第3章・児童およびその風俗について
第4章・坊主ならびにその風習に関すること
第5章・寺院、聖像およびその宗教の信仰に関すること
第6章・日本人の食事と飲酒の仕方
第7章・日本の攻撃用および防禦武器について(付 戦争)
第8章・馬に関すること
第9章・病気、医者および薬について
第10章・日本人の書法、その書物、インクおよび手紙について
第11章・家屋、建築、庭園および果実について
第12章・船とその習慣、道具について
第13章・日本の劇、喜劇、舞踏、歌および楽器について
第14章・前記の章でよくまとめられなかった異風で、特殊な事どもについて

戦国時代の日本にやってきたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスの書いた、日本とヨーロッパの違いを比較して列記した本。原著のタイトルは『日欧文化比較』といいます。文庫化にあたり『ヨーロッパ文化と日本文化』と題名がつきました。フロイスが1585年に長崎県の加津佐で書いたもので、箇条書きの形で「ヨーロッパではこうだが、日本ではこうなっている」というような感じで日本の諸事情の中で、ヨーロッパと違うものをピックアップして説明しています。「日本はここが変だ」「ヨーロッパとは逆さまだ」というのを示すのが目的なので、わざと一部の事情に限定して書かれているものもありますが、なかなか鋭い冷静な視点で見てて、説明が的確です。
当時の日本の事情が分かる第一級の史料の翻訳で、それぞれの項目に訳者の注釈が入り、非常に分かりやすく面白い一冊となっています。

中でも面白かった話の例を各章ごとから、それぞれ挙げてみます。

「われわれの間では顔に刀傷があることは醜いこととされている。日本人はそのことを誇りとし、よく治療しないで一層醜くなる。」(第1章)

これは顔についた「向こう傷」のことですね。背後についた傷「後ろ傷」は敵に背を向けていた証拠として不名誉なことでしたが、敵と向かい合った証拠である体前面の「向こう傷」は名誉なことと考えられたわけです。このことがフロイスには奇異に写ったのでしょうね。
しかし、この記述を見るかぎりだと、もしかしたらわざと傷跡を残すようなこともあったのかもしれません。


「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。」(第2章)

これは日本人の貞操観念がかなりおおらかなことに注目したもので、第2章の冒頭に書いてあるくらいだから、特に気になったんでしょう。
日本はどうやら昔からセクースに関してはかなり緩いルールでやってたみたいですね。夜這いとかの話も有名ですし。前に読んだ雑誌によると、日本の昔の村社会では若者たちが総当たりとかでセクースしたりしたとか。もしも妊娠したら、結婚して、生まれた子はその結婚相手の子として育てるらしい。結婚した時に処女だと、よほどモテなかった、とか思われたとも。ヨーロッパ的貞操観念とはかなり考え方が違うわけです。
ただ、社会上層の家庭はそこまで自由じゃなかったようです。商家の娘はずっと家の中から出ないとか読んだ覚えがあります。武士たちの家も厳しかっただろうし。
あと、結婚後には不倫不貞の行いは厳しく罰せられたようです。処刑とかもありました。確か、武士だったらそうした妻やら間男やらは斬ってもよかったはず。
そういえば、この前読んだ『武士の家計簿』の中で結婚事情について書かれた部分とかありましたが、いとこ婚が多いというのは興味深かったですね。あと、結婚前に「お試し期間」のような共同生活の時期があったり。


「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ(言葉?)によって譴責するだけである。」(第3章)

ヨーロッパでは子供に対する懲罰が当たり前でしたが、日本ではそういうことはしなかったようです。これは明治になって日本に入ってきた外国人も似たようなことを書いているので、ずっとそうだったのでしょう。
フロイスは他の通信で「子を育てるに当って決して懲罰を加えず、言葉を以て戒め、六、七歳の小児に対しても七十歳の人に対するように、真面目に話して譴責る。」と書いているそうです。この子供に対する話して聞かせる態度というのは、どこらへんから来てるのでしょうね? 儒教的思想からとか?
あ、ちなみに皆が皆、こういった親ばかりだったわけもないわけで、『武士の家計簿』でも藩の会計係だった人が、息子を算盤でぶん殴るということがあったと書かれてます。


「われわれの間では修道士は常に平和を念願し、戦争は彼らにとっては甚大な苦痛である。根来の坊主らは戦争を仕事とし、戦闘に赴くために領主らに傭われる。」(第4章)

これは戦国時代の傭兵集団・紀州の根来衆のことですね。鈴木孫一とか有名な武将がたくさんがいたのは、根来衆の近くにいた雑賀衆という別の集団。根来衆のほうが先に鉄砲を使いはじめたようです。(鈴木重秀とか、『信長の野望』でさんざんお世話になったなぁ)
日本では僧侶たちが武装したりするのは普通に行われていました。もしかしたら、宗門争いが激しかったことと関係あるのかもしれませんね。あと、傭兵としての活躍も多く、根来衆も河内と紀州の守護だった畠山氏に雇われて近畿で戦ったとか。
しかし、フロイスはヨーロッパにも騎士修道会があったろうに、そこらへんはどう思ってたんでしょう。それとも、どの宗門であっても武装する日本の宗教勢力をおかしく思ったのか。もしくは、「傭兵」であることに注目したのか。


「われわれの教会は(奥行が)長くて(間口が)狭い。日本の寺院は(間口が)広くて(奥行が)短い。」(第5章)

日本のお寺の作りは、横に広い形になってます。ヨーロッパの教会は入口から入ると奥の方に長く伸びています。この形の違いに注目したものですが、そういえば何で日本の寺院は横に広いんでしょうね。利便性から? 寝殿造りの影響? 金堂や講堂が回廊の一部を成して敷地中央部を囲っていた時代の名残り?
寺院の巨大さを効果的に出すためには、ヨーロッパでは建材が石だから高層にできるけど、日本だと木だから高くできず、横に拡げたとか? あー、でも高層といえば五重塔とかあるしなぁ。


「ヨーロッパ人は焼いた魚、煮た魚を好む。日本人は生で食べることを一層よろこぶ。」(第6章)

当時から刺身は食べられていたようです。「生物(なまもの)」と呼ばれていました。
生で食べる習慣はヨーロッパではあまり無いようなので奇異にうつったのでしょう。他にも、「魚の腐敗した内蔵」つまり塩辛を肴にして好むとも書いてあります。


「われわれの間では撃剣をする時ものを言わない。日本人は切りつけたり、逆打ちをくらわせる毎に必ず叫び声を発する。」(第7章)

剣を振るったりする時の気合いのかけ声が変に感じられたのでしょう。
他のところにも書いてありしたが、どうやら、弓を射るときも気合いの声をあげたようです。


「われわれの(馬)は走っていても、ぴたりと止まる。彼らのはひどくあばれる。」(第8章)

馬の調教技術が未熟で、馬を自在に操る馬術そのものがヨーロッパの方がはるかに発達していたようです。ヨーロッパには有名な馬術学校が16世紀にはすでにあったようですし。
日本では明治になるまで、馬に蹄鉄をはかせたりもしなかったようで、藁で作った馬用の靴みたいのをはかせたりしていました。また、去勢もしなかったようで、日清戦争の時、日本の軍馬がひどく暴れたと欧米の記者たちが書いています。


「われわれは瀉血療法をおこなう。日本人は草による火の塊を用いる。」(第9章)

これはお灸について書いたものですね。瀉血療法はわざと血を出させる治療法。ヨーロッパでは体液学説から体内の過剰な体液を排出すべきと考え、さらに「悪い血」が病気のもととなっているという考えもあったので、それを抜くために血管を開いて血を抜いたわけです。
鍼灸療法は明代の中国にやってきたヨーロッパの宣教師たちによってヨーロッパにも紹介されていたはずですが、広く知られていたわけではないのでしょう。


「われわれは書物から多くの技術や知識を学ぶ。彼らは全生涯を文字の意味を理解することに費やす。」(第10章)

文字がたくさんあることと、その勉強が大変なことを書いています。表音文字と表意文字の文字数の違いについても書いています。当時は別に事前に勉強できたりとか教材があったわけでもなかったでしょうし、ヨーロッパの人が日本に来て日本語を習得するのは苦労したことでしょう。そういえば、フランシスコ・ザビエルは日本語についてあまりの難解さから「悪魔の言語だ」と言ったとか。


「われわれは宝石や金、銀の片を宝物とする。日本人は古い釜や、古いヒビ割れした陶器、土製の器等を宝物とする。」(第11章)

まさに『へうげもの』の世界の話。日本人の独特の美意識は、ヨーロッパの人たちの考え方とはどうもずれていたようですね。これの他にも、古い刀ほど愛好することとか、墨一色で書かれた水墨画が非常に高価であったことなども書いてあります。


「われわれは海の精や海人のことはすべて虚構と考えている。彼らは海の底に蜥蜴の国があり、その蜥蜴は理性を備えていて、危険を救ってくれると思っている。」(第12章)

ちょ、まっ、それは竜宮城だッ!
そうか~、「蜥蜴の国」か~。リザードマンでもいそうだなぁ。


「われわれはクラヴォ、ヴィオラ、フルート、オルガン、ドセイン(葦笛)等のメロディによって愉快になる。日本人にとっては、われわれのすべての楽器は、不愉快と嫌悪を生じる。」(第13章)

日本人の音楽的感性について書いたもので、他にも、日本の歌は単調で喧しいとか書いてあります。また舞踏についても、ヨーロッパ的な情熱的なダンスは受け入れられなかったようです。特に日本人にとっては、ヨーロッパの上に跳び上がるような動きのダンスは奇異に写ったようです。


「われわれの間では人を殺すことは怖ろしいことであるが、牛や牝鶏または犬を殺すことは怖ろしいことではない。日本人は動物を殺すのを見ると仰天するが、人殺しは普通のことである。」(第14章)

日本では牛馬の肉を食用に用いなかったためか、動物を殺す必要性がなかったのでしょう。
ヨーロッパでは司法関係の人でないと人を殺すことは正当ではなかったようなので、ポンポン殺しちゃうこの時代の風潮と、人々が動物を殺さないことから、このようなことを書いたのでしょうね。
ちなみに、他のところで、日本人は牛や羊などは食べないが、イノシシ、犬、鶴、猿などを食べると書いてあります。


こうやって、フロイスの視点で当時の日本を見てみると、いろいろと現代との共通点や逆に違う点などがあってなかなか興味深いです。そしてその日本をフロイスがどういった気持ちで眺めていたのか、ということも考えるとなんだか楽しくなってきますね。


ついでにフロイスとイエズス会の解説記事抜粋。

>ルイス・フロイス
1532年頃~1597年7月8日生没。ポルトガルのイエズス会司祭。別名ポリカルポ(Polycarpo)。リスボンに生まれる。1548年イエズス会に入り、1か月後東インドに派遣されゴアの聖パウロ学院に入学。そこで日本人最初の神学生パウロ・弥次郎と知り合った。ザビエル(ハビエル)から日本の事情を聴き、日本布教の志を起こす。61年司祭に叙階され、学院長、管区長らの秘書をつとめた。62(永禄5)年日本布教の命を受け、翌年肥前横瀬浦に上陸、以来大村領、有馬領、松浦領度島(たくしま)に布教。65(永禄7)年京都に入り、京畿地方に活動を拡げた。その間、69(永禄12)年京都で、翌年岐阜で織田信長に会見、その厚意を得て近畿布教に成果をあげた。70(元亀1)年オルガンティーノに上洛を乞い、76(天正4)年後事を託して九州に去り、大友宗麟の居城豊後臼杵に在って、宗麟およびその一族を入信させた。81年巡察師ヴァリニャーノに随行して京都で信長に会い通訳をつとめる。同年京都を去り、越前に赴き、配流中の高山右近を北庄に訪ね、慰めと激励を与え、再び九州に赴く。イエズス会総長メルクリアン(Mercurian)の命により、『日本史』(柳谷武夫訳、1963-78)編纂を始め、1586年完成。92年(文禄元)年ヴァリニャーノと共に一時マカオに赴く。同年長崎に帰り、97(慶長元)年長崎における日本二十六聖人の殉教を見て、その記録をローマのイエズス会本部に送り、間もなく没する。日本より送った多数の書翰は現存し、キリシタン研究の重要な資料となっている。
(『キリスト教人名辞典』P1357より抜粋。)

>イエズス会
カトリック教会における最大の男子修道会。イグナティウス・ロヨラによって1534年創設。40年教皇に認可され、反宗教改革の旗手となった。16-17世紀は中南米、インドを拠点に中国、日本など東洋諸地域への海外布教活動を行う一方、カトリック諸国の貴族の子弟の初・中等教育を担う。スペインでは、歴代国王の聴罪師として政治的にも影響力を持った。18世紀に、伝統的宗教を理性に基づいて批判した理神論と対立し、西、独、仏各国や中南米から追放された。19世紀初め復権し、現在全世界で教育、文化、社会活動に従事している。
(『角川 世界史辞典』P66より抜粋。)

『ピルグリム・イェーガー』にも登場するハチャメチャコンビが作った組織ですよ(違うっ!)。ちなみにイエズス会は現在もあるので、その日本管区もあるのですが、公式ホームページなんかも持ってたりします。


そういえば、こんなニュースがあったのでついでに。

ブルーカードも登場 神学生らがバチカン版「W杯」
http://www.asahi.com/international/update/0224/019.html
「世界50カ国のカトリックの神学生らによる初のサッカー大会「クレリクス・カップ」(聖職者杯)が24日から6月にかけてイタリアのローマで開催される。ANSA通信によると、約300人のバチカン系の教会関係者が16チームに分かれてゲームに臨み、決勝戦を目指す。 」
(asahi.com2月24日記事より抜粋。)

これ、聖職者の儀式用の格好とかしてやったら面白いでしょうね~。ゴテゴテで走りにくそうだし、あの帽子じゃヘディングできない。
試合においてはイエローとレッドのカードの他に、「反則行為の選手に5分間休憩して悔い改めるよう促す「ブルーカード」も出す。」とのこと。まあ、聖職者ならではですね。

あと、こんなサイトも見つけました。

クリスチャントゥデイ
http://www.christiantoday.co.jp/index.php

キリスト教系のニュースサイト。なんか視点が独特で面白いし、マイナーニュースもありますよ。コラムも独特!


参照サイト
イエズス会日本管区
http://www.jesuits.or.jp/

関連記事
日本ポーランドの人物交流史が特集。『ポロニカ(Polonica)ポーランド文化の現在・過去・未来』93年no4
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この記事へのコメント

うを、こんな面白そうな本がありましたか!

> 『ピルグリム・イェーガー』にも登場するハチャメチャコンビ

復活を切に願う次第ですよ。ロヨラさーん!
女装の似合うザビエル君が、後に河童オヤジになるかと思うとちょっと哀しいものがありますが。
Posted by 蒸しぱん at 2007年02月27日 01:40

佐藤賢一の『カルチェ・ラタン』にもザビエル・ロヨラのコンビが出て来るのですが、脳内イメージはもう伊藤真美絵です。ザビエルの描写で「異様に毛深い」とか書かれてますがそんなの目に入りません入りません。
Posted by 速水螺旋人 at 2007年02月27日 04:00

そういや、最近『アワーズ』に載ってないですね。『平成コンプレックス』もですが。

女と見まがう美少年→河童オヤジ
というザビエル君の華麗なる変身はある意味衝撃です。

>カルチェ・ラタン
まだ未読なんですが、あのコンビも出てくるのですか。ザビエルのイメージはあの有名な絵画か伊藤真美絵のどちらかという両極端ですが、ロヨラのイメージはもう伊藤真美絵で入りました。

ヨーロッパの人が子供の頃は愛くるしい美少年だったのが、大人になると・・・というのはよく聞く話。たぶん、あの伊藤版ザビエル君も、この後モジャモジャになるんですよ。上から下までモジャモジャ。頭頂部だけハゲ。
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年02月28日 00:22

フロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」ようやく読み終わりましたが、

〉われわれの劇は普通夜間に演ぜられる。日本では昼でも夜でもほとんどいつでも行われる。

って、なんだか、楽しそうな国じゃないですか~。
ビゴーとかの明治初期の日本の話とも共通することも多いんですね。子供が子守してるとか。

驚いたのは、日本では馬に右から乗るっていうの。
「馬は左から」って世界共通じゃなかったのか~。
あと、

〉われわれの間では盲人はきわめて平和を好む。日本ではたいそう闘争を好み、杖や脇差を帯びている。そしてたいそうちやほやされている。

ざ、座頭市?
映画の中だけの話じゃなかったのか。>ちやほや
Posted by 雪豹 at 2007年03月27日 20:32

>明治初期の日本の話と共通
日本にきた外国人が注目するところが、時代を下っても同様だったという点も面白いですね。
しかし、子供が子供のおもりをするというのは外国じゃあまりなかったということなのでしょうかね。いくらでもしそうな感じもしますが。

>馬は左から
なんで日本だけ右になっちゃったんでしょうね。腰に刀とか差してたら、右からだと乗りにくそうかも。

>盲人
琵琶法師などがいたから、「僧侶に対する敬意」が盲人に対するちやほやになった、とか?
Posted by 管理人・馬頭 at 2007年03月28日 04:20
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by xwablog | 2007-02-27 01:12 | 書庫
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