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阿部勤也『中世の星の下で』を読んでて思ったこと。橋や施しのこととか
いま、めちゃくちゃお腹パンパンです。この前の『イブニング』に載ってた『喰いタン』で紹介されていた、牛丼つゆダクダクを炊き立てご飯のお釜にかけて喰うやり方を試したのですが、とりあえず全部は食えません。味もちょっと微妙だった。そうそう肉など喰う機会もないわけですが、こうして無駄に費やされるというわけです。

それはともかく。
この前阿部勤也氏が亡くなった時にちょうど読んだ『中世の星の下で』について。

中世の星の下で_阿倍謹也

『中世の星の下で』

(阿倍謹也。筑摩書房。ちくま文庫。1986年。580円)

読んでみてはじめて気付きましたが、数ページ分ずつの短いエッセイ・コラム的な記事を集めたものでした。
で、読んでみて思いついたこととか。


「このような記録をみると、喜捨をする人々の意識のなかでは、橋は教会や病院と同じように霊の救いに深いかかわりをもつ超俗的施設と考えられていたことがわかるのである。」

橋についても書いてありますが、橋の公共性は高く、「貧者も富者も誰でも使う」という類いの建築物で、それゆえに誰にでもその恩恵に与れるわけです。つまり、この橋を建設・維持するために金銭の提供などの喜捨を行うことで、貧者に食料や衣類・寝床を提供するのと同様の「施し」となるわけです。教会建築のために寄付を行うのと同じ。
橋が無いところでは渡し舟がありましたが、渡し舟は使うたびにお金がかかりますが、橋はタダ(場合によっては通行料を徴収してたところもあったみたいです)。両岸の交流が活発になり、人の移動、そして物の流通が格段に増えることに。
通行量が多く集客力があるから、橋の上に建物を建てるということがよくあったみたいですが、あれ、よく建てられますね。屋根付き橋。アーケード状になった橋の上にみっちり。しかも場合によっては3階建てとか。そういえば「ロンドン橋落ちた」の有名な歌の橋も、橋の上に建物が建ってるものを指してのことでしょうが、あれは川の水流で木造の橋が落ちたことを指して、石で作れといっています。
『中世の旅』の中に橋の話がありますが、1080年のこととして、「ローヌ河からほど遠からぬジェルス河に石橋が築かれた。動機として、洪水の時生命を落としたくないという願いがはっきり記されていた」と書いてあります。


「ところがヨーロッパの人びとの間では石に対するこのような感じ方はあまり一般的ではないらしい。(中略)かつて石に対して日本人以上に深い関係をもっていたためではないかとも思われるのである。つまり石に対して無関心であるためではなく、石というものがヨーロッパの古代、中世の文化のなかであまりに大きな意味を持っていたために手軽に石を扱えなくなっているのではないかと考えられるのである。(中略)古代においては石は地中で成長すると考えられていた。かつては小さな石であったものが母なる大地から力を得て、大きく成長してゆき、母なる大地がもっていた治癒力をもあわせもつようになると信じられていたのである。こうして石はまず第一に民間治療の手段として用いられた。(中略)石の中に無限の力が隠されているという考えはすでに古代世界以来中・近世にいたるまで広く信じられており・・・」

確かにヨーロッパは石に対する信仰のようなものがありますね。石が「力」を宿し発しているというようなものが。宝石を持つのもその最大の現れかと。宝石なんか昔の日本ではあまり扱われなかったみたいだけど、ヨーロッパではさまざまな「効能」を信じてたようですし。日本で発達しなかったのは、カッティングの技術がなかったから?
『金枝篇』にも「スコットランドのアイレイ島、シャーロット港の近くのグレン・モルの突端に大きな石があるそうで、この石に釘を打ち込めば、歯の痛みがとれるといわれている」という話が書いてありますが、病の時、患部に石をあてて、石に病の原因を移らせて、病を取り除くというのは、石が何らかの力を受け入れる器となるという考えがあったからでしょうが、どこらへんからそうなったのか? 別にヨーロッパ特有の考え方というわけでもないようなので、どんな文化的・環境的背景が必要だったのか? そこらへん考えると面白いですね。
ロシアでも大地が人を癒す力を持つ、と信じられていたようで、『ロシアの神々と民間信仰』には「大地は、病気を癒した。大地そのものが、薬であった。」とあります。
あと、『ドイツ民俗学入門』によると、中世ドイツにおいて先史時代の石器(矢じりなど)は、超自然的な力を持つとして御守りなどとして使われたとか。

この本では中世の賤民の中で、最も身分が低いとされた皮剥ぎを仕事にする人々が、「卑しい」とされたのは、古くゲルマン系社会の祭祀において、生け贄を捧げる祭司との共通点を多く持つ肉屋という職業が、名誉ある重要な職業とされたのと表裏一体の関係があり、またキリスト教の広がりと異教的祭礼(獣の皮をかぶってその力を得るといったようなもの)の禁止も影響してるとか。
他に賤民とされた人の中に、粉ひきがいますが、前に読んだ『魔女現象』だかなんかで、他の人々と離れた場所に立つ水車小屋に住む粉ひきは、集団の外縁部に存在する他者で、さらに粉ひきによって、穀物を粉末にすることで、その持ち込んだ穀物の量をごまかしているのでは、と疑われることから、疑惑と批難の対象となった、とありました。でも、なんかそれだけだとちょっと説得力が足りないような。もうちょっと他の説明を付け加えたいですね。
やはり、古代社会における、「水」を扱う特別な職業の系譜に属するという点か?もしくは穀物を加工する「生命の変換」に関することが影響してるのかとか考えられますね。


ところで、この中で何回か言及されている(P150とか)「ヴォーラウ公国」ってどこのことでしょう?

参照サイト
筑摩書房 ちくま文庫
http://www.chikumashobo.co.jp/search/result?a=&t=&k=301&p=&isbn=&order=1&v=20&desc=true&g=&x=69&y=2

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巨星墜つ。日本の中世ヨーロッパ史の大物史家・阿部謹也先生死去
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この記事へのコメント

なぜか、別に『喰いタン』ネタの記事じゃないのにトラバが。

ちなみに牛丼買ったのは今一番好きなすき家。吉野家はアメリカ産にこだわり過ぎのような気が。まあ、吉野家は客の健康より、自分たちの利益の方が百倍大事だからなぁ。

しかし、すき家。いろんな牛丼屋の中で、一番バラエティに富んだメニューを用意してるものの、微妙なやつが多い。わさび山かけ牛丼とか、マーボー茄子牛丼、ハーブチーズ牛丼とか。店に入ると独特の臭いがツーンとするのはちょっと・・・。

しまった。読み返して気付いたけど、この記事で『中世の星の下で』の中にあった「読書」ネタの話をふってなかった。
Posted by 管理人・馬頭 at 2006年10月01日 19:18
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